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別府 大分 移住 引越し 工場 勤務

サンフラワー

山城のトラックを父親が運転して出発した小さい頃と違い、今回は単独で大分工場までの旅となるのだが、行き慣れた土地だったからだろう。なんの不安も感じることなく関西汽船が運行するサンフラワーの係留場である南港に向かった。

当時、父親が出張で家を出る際、決まって母親が渡していた物がある。
それは”三嶋亭の細切れ肉”である。

初代が不憫に思った”豚のスキヤキ“ではないが、コレは必須で渡していて、私が出発する時も同様に持参させた。それと幾許かの小遣い。全ての荷物を載せ終わった後、サイドミラーに写った母親の姿は涙を堪えていたように思う。
今生の別れでもないはずだけれど、母親とはこういうものなのだと知った。

カーナビもない時代だったが、1号線から名神へ。
名神から環状線を乗り継ぎ、阪神高速をひた走る。

小さい頃の記憶では、どこかのインターチェンジで同業のトラック仲間と合流し、仲間は環状線の本町で。父親は南港に向かう道すがら手を振り合っていた思い出深い環状線だったから迷うはずもなかった。

阪神高速を降りても馴染みがある所ばかり。
サンフラワーの食事は高いからと言って、南港のどこかにあった商店街で買う”巻き寿司”や”焼鳥”など。まるで父親の行動をなぞるかのようにして係留場に着く。着いても勝手知ったる乗船方法である。

太陽の半円が海面から出たようなロゴマークのサンフラワーだが、私にとってみると慣れ親しみすぎた大型船だ。写真撮影に勤しむ親子などを尻目に車検証を片手に乗船準備を整える。

いつだったか偏った積載で船が横転してしまった大事故があったが、大型船の根幹であるこの乗船作業はプロが手招きする車から乗り込んでいく。船に乗り込み、車を降りると重油と潮の香りが入り混ざった独特の懐かしい匂いが漂っていた。

関西汽船 サンフラワー 大型客船 トラック 乗用車

苗字が珍しいあるあるなのだが、久しぶりに乗ったサンフラワーのデッキ担当は覚えてくれていた。

「お父さん元気にしたはるか?」
「めっちゃ大きなったやん、幾つ?」
「相部屋価格で個室にしたげるしな」

こんな風に今ではすっかり風前の灯となったサービスで私を取り扱ってくれた。
今思えば、こういう一連も親の傘の下で生きていた証拠なんだと思う。

船は南港を離れ、瀬戸内海をゆっくりと西へ向かう。
トラック野郎や旅行客でごった返す前に風呂へ向かい、商店街で買い貯めた夜ご飯を食べると後は何もない(笑) 別府へ向かう潮風でも浴びようとデッキに出ると、夏の生暖かい潮風が気持ちよかった。

小さい頃は楽しかったゲームコーナーや売店だったが、懐かしさを覚えるだけで心は躍らず、配慮してくれた部屋に戻って雑誌を広げる。そういえば小さい頃、枕の下に隠された週刊誌の巻頭カラーを父親に内緒で盗み見するのが楽しくて仕方なかったことも思い出す。

こうやって書いていると幼少時の記憶が蘇る。
当時の記憶の頃と同年代になってきた娘だが、彼女が大人になった時、どういう記憶が思い出されるのだろうか。幼いからと言って舐めてはいけない(笑)

父親なんてもんは少しぐらいダメな部分があった方が、あんがい彼女の心は窮屈にならず逃げ場を作ってやれるのかもしれないと感じる今日この頃だ。

 

三代目のコラム 記憶を辿る73話に続く

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