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日記 ブログ 記憶を辿る 71話 ぼん ボン 山城 やましろ

最後の夏

退職してからだったか、退職前だったか覚えていない。
父親に家業を手伝いたいという話を初夏の事務所で伝えた。

「ほな、大分の工場からやな」
「へっ?!」

小さい頃から大分の工場に行っていたとはいえ、業務内容を知っているはずもなかったから当然なのだが、京都の事務所で事務方として手伝うものだと考えていた私は驚きを隠せなかった。

当時はクレープ肌着の縫製委託のみで国東工場と武蔵工場は稼働しており、京都で手伝うような事務処理などは限られていた。またクレープ肌着はご存じの通り”夏物”であるから、晩夏から来夏用の下着を縫い始める。

これに併せて山城の決算も8月の終わりに設定されており、腰を据えて手伝い始めるには盆明けがキリが良く、その頃に大分へ移住し入社する手筈となった。

しかしそれまでは宙ぶらりん状態となり手持ち無沙汰。
小遣いはこの間に何件かの飲食を掛け持ちバイトをして凌いだ。

ウェイターに友人の実家が経営する川床の皿洗いなど。
経験のない仕事と新しく覚えていく内容は、ニューヨークの裏通りを見るような感覚で、様々な仕事の裏方さんを体験することにも心は踊り、もてなす側からお客様を見るのも楽しかった。
現在お店で提供するドリップコーヒーを覚えたのもこの頃だ。

しかし友人も知人もいない大分へ移住など出来るのだろうか。
この時はまだまだ甘く、想定していた不安は後に的中、退路を断たれた私は家業の行く末を何とか変化させようと、もがき始めるきっかけになっていくのだが、この時はまだ知る由もない。

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この時ばかりはボンボン風情を大いに楽しんだ期間だった(笑)
不安と隣り合わせだったとはいえ飲みに遊びにと気楽さは人一倍。
来たる引っ越しに向けての準備も意気揚々としていたと思う。

大分では1人1台が必須の自家用車ではあるが、京都ではそうも行かない。
引越しの荷物入れも兼ねた大分用の中古車を購入した時は嬉しかった。

Youtubeの山城リノベーション動画でも少し説明したが、暖房をかけても白い吐息だった山城店舗の最奥に部屋を貰っていた私の資産は以下の通り。

・大量の漫画と自己啓発本
当時人気だった中谷彰宏さんを始め、自己啓発本やサービス王になろうなどの本が多く、少しのバイト期間だったが最良のサービスを手掛けたかったようである。
・大量の衣類と音楽関連
Oiパンクを始めとしたROCK系のレコードとCDと衣類。後にアメリカ村で大量にリセールしたが、今思えばメルカリなどが出てくるまで待てば良かったと思っている。

これにロングボードとスノーボード関連が加わったが、絞って捻り出しても現金は出てこなかった(笑) 全資産を詰め込んだ中古車は、こうして新しい門出の日を迎えたのである。

 

三代目のコラム 記憶を辿る72話に続く

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