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京都 中京区 富小路 三条 地元 田の字地区 老舗 会社

貧乏人

スノーボードに明け暮れる日々を続けていた頃。
ある日、会社が使っていた配達用のバンを借りたことがあった。
社長が「毎週スノボーに行ってんにゃったら乗って行ったら?」
という好意的な気持ちに甘えたのだが、これが後に自身の転機へと繋がる波紋になるなんて、思いもよらなかった。

もちろん借り物であるから、慎重に運転し、給油も満タン、泥だらけになった車もきっちりと洗車後に返却した時のこと。社長の父親である会長に声をかけられた。

「稗君、誰に断って車乗って行ってんの?」
「社長に乗って行きって言ってもらえたんで借りました」
「えっ?そんなん言うはずないわ、社用車やで」
「えっ…いやでも社長がえぇて言うてくれは…」
「まぁもうえぇわ、次はアカンし。宜しく」

ん? これは理不尽だと社長に確認すると「あぁ…会長に言うわ」の返答で、息子である社長が放った責任ある言葉を、一変させる会長の言葉に苛立ちを隠せないようだった。こんな状況は入社当時からあったのだけれど、より頻度が多く起こるようになっていた。

息子さんが頑張っている中で、昼からヘロヘロっと来ては前時代の当たり前を今の時代に当てはめてきたり、息子が可愛いのか異常な持ち上げをしてみたり。女性スタッフに対しても少し考えるところもあって、私は会長に対して不信感しか生まれてこなくなっていた。

そんな思いを沸々とさせているよりも良いと思い、社長に相談すると「俺のこと信じれ欲しい」と言う言葉を頼りに日々の業務に徹し、少しでも多くの仕事を任せてもらえるように最善を尽くすようにしていた。

猫のても借りたい状態の社内では、アパレルメーカーの生産担当から直接電話があることも多く、要望される品番は人気カラーのため品切れも多かった。

代わりの在庫過多の糸を少しでも上手くまわして現金化できるように工夫をしたくて”糸値と原価”を社長に聞いたことがあったが、まだ早いとばかりに一蹴された。みんなが次のステージに移れるようにしたかっただけなのだけれど、これは最後まで開示されることはなかった。

分からないこともないが、参考までにコストが頭に入っているだけでも社長の業務は軽減されたし、在庫調整も含めて次のステップに進む手助けになったはずなのだが、出社後に外回りをして荷受けをし、間違いのない出荷までをする要員としてのみ取り扱われているのは歴然としていた。
社長業として必要とは言わないが、その先の展望とやらはないように感じた。

丁稚奉公 昭和 平成 三代目 老舗 コラム

朝8時から終業が23時と以前に書いたが、これにも一悶着あった。
月給制だったから残業手当など致し方ないと思っていたが、同僚だった女子が声をかけてきた。仲の良い友人の彼女だった事もあり、終業後に行ったご飯会で私に投げかけた。

「稗君、あれだけ働いてて残業代でてる? 私でてないねんけど、これって言うてエェんかな? 私の実家、商売やってるんやけど、これやったら自分の家を手伝った方がなんぼエェか。どう思う?」

それまでに業務内容と給料の不条理に疑問を感じたことはなく、むしろ丁稚奉公なんやし当たり前だろぐらい思っていたが、言われて調べてみると確かに粗が目立った。

お世話になっている会社の揚げ足取りのような行動は気分がすすまなかったが、何冊か関連本を読んだ記憶がある。加えて頑張りのベクトルの矛先にも疑問を持ち始めてしまう。

残業手当のことや業務内容の改善を社長に直談判し、後日開いてくれたスタッフミーティングの中で、少ないスタッフ全員で今後どうすれば良い方向に改善するかなどを色々と話し合った。

善は急げと、明日から即日実行ねとなったのも束の間。
前述の会長がまたも余計な一言を放ち、みんなの気持ちが一気に瓦解した。

「貧乏人はすぐに金をせびりよる」

納品を急ぐ商品があるためスタッフ総出でラベル貼り作業をしていた時に放たれた一言は、それまで談笑しながらしていた作業の手を止め、全員の顔から笑顔を奪い、それぞれの立ち位置で思う表情に変わっていく。

社長からすれば自分の父親が放った一言は、先日のミーティングをひっくり返されたようなものであり、父親への憤りを隠さなかった。

家族はお爺さんがいつも以上にやらかしてしまったバツの悪さ、長年の事務員さんからは諦めに近い呆れ、新参者の我々は蔑まれたことへの怒り。

怒りの余り途中でラベル貼りをやめた同僚の行動を見ても、一切取り繕う事をしなかった会長は、社長からミーティングの事後報告を受けた結果、腹に据えかねた案件だったのだろう。

頑張る息子が可愛く、仕事内容を突かれたことで悩んでいる姿が不憫で仕方なかったのかもしれない。大切な内容をすっ飛ばして表面だけをなぞった結果の一言だった。

何度も断るが、期間限定で続いたイレギュラーな残業ではない。
既にここの業務は”残業”が当たり前として成り立っており、なんなら面接時に「なかなか17時には終わりにくいけど大丈夫?」と確認されたほどに常態化していたのだ。声高に言わずともがな理不尽極まりない就業状態であるのは明白だった。

たしかに丁稚奉公が当たり前の時代、残業代など儚くも夢であり、むしろそれは血となり肉となるから受けて立ち、奉公があけて独立した暁に結果が出るであろうと辛抱が美徳とされていた時代もあった。

しかし…である。
新参者2人は、これをきっかけにして心が離れてしまい、自分の親族が営む会社ならまだしも、他所の会社でこれだけ身を粉にして働く意義を見出せなかった。

社長からは「俺を信じてくれ」と絆されたが、我々の心は戻らなかった。
今となっては少し状況が違って見える部分もあるが、引き継げる人間にバトンを渡すと同時に退社した。

 

三代目のコラム 記憶を辿る71話に続く

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