記憶を辿る 35話
– Punk界の大物 –
PunkのDJを目指し、夜毎 Fish&Chips ( 28話 / 以下:Fish) に通いながら過ごす高校生活。
周りは部活動や学校行事に勤しむ中、それに対する当てつけのように正反対の行動を取り、
喧嘩や酒に手巻きといった具合で何でもかんでも手を出していた。
年度毎に辛うじて留年を免れる日々を過ごしていただのだが、
FishやR ( 27話 )が起点となり同学年の逸れ者との輪も加速度をつけて大きくなっていた。
中学時代に噂をし ていた(24話) 泣く子も黙るヤンキー界の超有名人、各地元で名を馳せる小悪党、
全ての言動がおかしい中毒者など。粋がっていることを上手く利用する大人や肖ってくる後輩達。
負の連鎖ブレーキは、もはや制御不能。
それらを結びつけたのは音楽だ。
情報が少ない中、新宿のレコード店で希少なOi Punkレコードの買い漁りを始めてからというもの、
知識やコレクションは増えていく。
この頃にはFishのツンさんからも認められ、彼が持つ希少なPunkレコードを譲ってもらえる関係で、
Fishで月に何度かDJの機会も得ていた。
確かFishでDJをしていたのは平日の火曜日枠、21時から5時までだったと記憶する。
そんな時、東京で何十年続く老舗イベント、”ロンドンナイト”をツンさんが京都のClubで打つという知らせを受けた。Punk界の超大物、大貫憲章さん率いるロンドンナイトをツンさんが呼んだのだ。
ご存じない方も多いと思うが、世界的ブランドになったUndercoverの高橋さんや藤原ヒロシさん、
チェッカーズや小泉今日子さんなどが足繁く通った超有名Punkイベントがロンドンナイトだ。
クラブ文化の聡明期、さまざまなカルチャーが地下でマグマをためるように蠢いていた。
当時はそんなに有名人が通ったイベントだったとは知らず、東京に行かなければ会えない、聞けない音楽が京都にやってくる!まさに天にも登るような気持ちで祇園会館にあったMushroomというクラブに向かった。
世の中が寝静まった頃、フロアは最高潮の盛り上がりを見せ御代、大貫憲章さんが現れた。
ラモーンズのロックンロールハイスクールを皮切りに、次々と新旧織り混ぜたPunkやRockを流し出す。
盛り上がりの流れに合わせるかのような選曲、打ち込みではないバンド主体のジャンルでありながら、
曲のスピード(BPM)と合わせて、変曲していく技術、MCによるコール&レスポンス、
そのすべてに打ちのめされ酔い知れた。
これまでは一つのジャンル、私で言えば Oi Punk というPunkの細分化されたジャンルの知識を詰め、スキンズスタイルで真似事をしながら専門性を高めることが本物だと思っていた。
若いがゆえの一途な追求、下積み、木を見て森を見ずという言葉通りに動いていた。
もちろんロンドンナイトの大貫さん以外のDJも下積み時代があり、それぞれに専門ジャンルを持っていただろうし、オーディエンスのいるクラブイベントだからこそ新旧織り交ぜた有名曲で盛り上げた一面もあったと思う。ただ私にとっては、30話でもあったモッシュと呼ばれる殴り合いのような攻撃性のあるダンス? だけがPunkやRockで、こんなにもピースフルにオーディエンスが沸き立ち、一体となる瞬間がある事を知らなかった。
しかもイベント数日前にはツンさんから「 客が面倒おこしよったら頼むで 」と言われていたこともあり余計に感動したのだろう。
正にRock The Tokyo。
新しい境地を発見したような気になった。
この時に流れたプライマルスクリームのThe ROCKSは、今でも忘れらないぐらい鳥肌もんだ。
ハードモヒカンに鋲付きのライダースを着たDJ、コテコテのPunksを流すと思いきやのThe ROCKS … 完全にノックアウトだった。
これ以降、一つのジャンルに囚われていた自分が情けなくなっていき、Fishで流す音楽も細分化されたOi Punkというジャンルだけに留まらず、幅広いRockという枠に広げた選曲をしていくようになった。
バーのお客様は耳馴染みの良いRockに酒が進むようになっていくが、
そもそもの立ち位置、ツンさんの思う趣旨とは違うようになってしまい、少しづつ溝が広がった。
ロンドンナイトで触発されて勝手に動き出した弟子と大貫憲章といったところだったのだろうか。
ある日ツンさんから「お前やる気ないやろ」と言われ、「はい」と答えた事を覚えている。
師匠の店で「お客様が楽しんでこそのバーでしょう」とは口が裂けても言えなかった。
それ以降、あれ程に念願だったFishのDJを辞めるに至るのである。