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祇園祭 祭り 西御座 錦 ぎおん ギオン

神様と私 その弐

こうして祇園祭だけでなく、神輿という物にもレイヤーを1枚1枚重ねるように、思い出が重なるが、田の字校区にも神輿があった。今は無き麩屋町蛸薬師の明治湯あたり、油屋町の子供神輿もそのひとつ。

明治湯といえばホリテックさん営むお風呂屋さんで、お風呂の一番奥にボイラー室に繋がるドアがあった。このドアの小さな窓から怖いもの見たさで何度も覗いていたのを思い出す。町に愛されたお風呂屋さんだったが、数年前に廃業。当時は寺町と新京極の間にあった桜湯派だったが、脳裏に明治湯が浮かべば急に、ノスタルジックな気持ちになる。不思議なものだ。

お客様あっての山城ではあるが、逆も然りなところがある。
人なんて自身の営みに深く関係しない限りは、そんなもんだと思っておけば急に生業に対して気が楽になってくるから不思議である。

話がどんどん逸れていく。
話を元に戻すと、町の小さな子供神輿だから、参加者はどうぞ〜といった感じだったように思うが、写真を見る限りメンバーが近所民で構成されているから、もしかしたら私の住む朝倉町はぎりぎりの範囲で町内ドレスコードがあったのかもしれない。この油屋町の神輿、どこを練り歩いたのか、全く思い出せないが、こうして私と神輿との関わりは少しづつ深くなっていった。

ここ最近は担ぎ手や役員、八坂神社などの尽力もあって、知られるようになり、山鉾巡行後の夕方から執り行われる神幸祭(17日)と還幸祭(24日)も、祇園祭のまた違った側面として、認知が高まってきた。それに合わせて輿丁(よちょう)の気持ち逸るギャラリーも増え、17日の石段下(八坂神社前)なんて神輿を担いでいなかったら絶対に行かないゾーンになった。

ただでさえ、夏の京都である。
蒸し暑く、立っているだけでも汗が噴き出る湿度の中、三基の神輿からなる輿丁は、集まったギャラリーを横目に何とも言われぬ優越感と高揚感、今から「日本の心を担ぐ」のだという緊張感を味わいながら、四条通りを悠々と八坂神社に向かって歩いていく。お役目を頂戴している多幸感もある。性分に合えばだが、祇園祭の神輿沼を一度味わってしまうと這い出てくることは至難の業だと思う。
それぐらい特別な場所と時間がそこには存在する。

 

錦に住む息子達の中には、そんな時間を疎ましく思う人もいる。
我々輿丁は外部の者だから、その日限定の祭りを無邪気に楽しめば良いだけだ。
しかし錦神輿を守る役目を担う息子達の苦労は計り知れない。約3tもある神輿に携わるモノ、コトに大事があっては許されない。社会問題にもなりかねない案件だ。渡行に関わる前行事や準備、当日の縄掛から交通整備など多岐に渡る。これら一切が役員になるに従い、春から7月31日の夏越祭まで緊張状態が続くのだ。

今でいう親ガチャで選んだとはいえ、アドレナリンを体外にも噴出させているような連中から足の運びがどうだ、今日のお前ら役員の先導はどうだと言われるような役はやめたくなって当然かもしれない。やめた人も見てきたが、何がそれを全うさせようとしているのか。

それは連綿と続いてきた”錦”という看板を守る心とプライドである。

目に見えるセレブリティな装い、わかりやすく言えば、ランボルギーニやフランクミュラーがあったとしても、それでは辿り着けないステータスがそこにある。
彼らは地の人間として何代も続く系譜を持ち、それぞれに幼い頃から、家で聞かされてきたことや教えを忠実に守り、後世に渡す役に徹している。
私が知る、そこにある姿は早朝から夜遅くまで、お客様を迎える生業に淡々と徹している姿や、人生の主役を演じているのだが主役ではない、そんな姿だけだ。
だからこそそれら苦労のすべてをを担い、影になれるのだ。

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