記憶を辿る 96話
– WEBサイト –
前話にもある初WEBサイトを立ち上げたのが2004年頃。
私が大分工場から京都勤務になる頃に並行して進行していた。
まだまだ蛍光色のゴシックフォントがデカデカとバナーデザインされ、背景には謎の柄が敷き詰められているようなデザインが多かった時代。PCは”ジーカジーカ”と謎の読み込み音を発していたし、オンラインショッピングなんてまだまだ聡明期だ。
そんな頃、時代の先を読んでいたのだろうか。
先輩が営んでいる自転車屋のWEBサイトを見たのがきっかけだった。
当時、私の買物といえば、京都に帰った時にまとめてセレクトショップで購入する事が多く、アマゾンの”ア”の字すらなかった時代に、ショップ周りをしても見つけられなかったUSAブランドの商品をネットで見つけて購入することが楽しく、古着はヤフオクで処分した。
当然その頃は代金引換便オンリーである。
そんな頃、先輩である彼の営む自転車屋のサイトは、WEB上で買い物をするカートシステムを組んでいて、小さな部品から完成品となった自転車まで、色々な商品がWEBショップに並んでいるサイトを構築していた。
「 お前んトコ、まだホームページないの? 」
「 こんなん作れるん? 誰に作ってもろたん? 」
「 知ってる後輩が作ってくれよったし1回聞いてみたるわ。」
こうして1人のクリエーターを紹介され、会うことになる。
彼は内装会社に勤めながら、小遣い稼ぎにWEBサイトを作っている人物だった。
当時はこんな人が多く、実績も少なく、紹介という事もあり、抑えた価格でWEBサイトを立ち上げる事が出来たのだ。それに、まだ山城にはなかったロゴマークまで作ってくれるサービス特化だった。
今でこそ買物ができるカートシステムを手掛ける会社は大手数社に絞られ、数十万とあるWEBサイトに、それらシステムをシェアする状態に落ち着いたが、この頃はWEBサイト毎にカートシステムを組む必要があり、自ずと制作コストは高額でハードルも高く、手を出す企業は少ないからお客様も買い物に慣れていない。
カード番号を打って買い物したらスキミングされてしまうという恐さや、まだまだ現金一括払いが最上位に来ていたから、この頃に山城がカートシステムを手に入れていたとしても上手くいっていたとは思えないが。
WEBサイトを立ち上げる際、アイコンが必要だと教授されて出来たロゴは風車のようなアイコンと、友人の書家が書いてくれた”山城”の文字だった。京都から世界に旋風を巻き起こす! ような言葉をイメージ化してくれた。
途中”京都縮織”という文字に変わっていくのだが、深く考えずに形にしたこのアイコンも、長きに渡って富小路に出す看板に使った思い出深いアイコンの一つだ。
最初のWEBサイトのドメインは”coolwear.biz”。
涼しい服という意味で取ったドメインだったが、友人に「 クールてww 」と言われて、すぐに現在の”yamashiro.biz”に変更。世の中は見る角度次第で物事の意味合いが180度変わってしまうようなこんな事ばかりだが、我々が”涼しい”というワード一つの事だけを見ていたからこうなった訳で、大切な部分は多角的に検証する大切さも覚えていく。
京都の山紫水明をイメージし、アニメーションで左から右に鴨川のような水色のラインが流れた後にステテコオヤジシャツが浮かび上がる。そんなトップ画面が初めてのWEBサイト。
ただこのアニメーション、サイトを訪れる度に流れるラインを全て見てからでなければそれぞれのページに入っていけず、Google(当時はYahoo)の上位表示を目指すSEO対策にも不都合が多かった。
当時”京都イージー”さんという京都発のTシャツ屋さんが人気で、価格的にカートシステムは断念したものの、オペレーション方法などは見よう見まねで構築したが何ヶ月経とうが注文はゼロ。
そりゃそうだ、鴨川で撮影した商品を”カタログ”というページを使って画像1枚のみで紹介し、メールで注文をいただいた方には、代引きで商品を送るという売り手ファーストな手法。まぁそれしか取れなかったといえばそうだけれど、大きく手を広げて商品を着ただけの画像が並ぶだけ。
そんな謎の紹介商品と、どこのブランドか分からないような物に、一手間も二手間もかかるメールで注文するなんて奇特な方など皆無だった。
三代目のコラム 記憶を辿る97話に続く