記憶を辿る 95話
– 初めての百貨店 –
俵屋旅館への初納品も無事に終えた頃、1人の女性がお店に現れた。
その女性をTさんとしておく。
彼女は百貨店バイヤーが見つけていない作り手を掘り起こし、百貨店から一定の区画を貰って期間限定で商売をする、業界でいう催事屋さんと呼ばれる会社の代表だった。
作り手は職人気質の人も多く、営業が苦手な人も多い。
作った物を売っていきたいけれど、1区画を埋めれる自信はない、そんなジレンマをTさんは解消してくれる。もちろん数10%の手数料がかかるが、商品を貸し出しさえすればパイプを持たない百貨店で苦手な接客から販売までしてくれる。
百貨店バイヤーとしても作り手を駆けずり回って1店舗を作り上げるような労力を取らずとも、ワンパックにしてくれるのだから一石二鳥、ウィンウィンな関係性なのだ。
今ではあまり聞かなくなってしまったが、当時はまだまだお客様の購買意欲も高く、一つの催事で大きく売上を取ることが出来ていただろうし、こういう催事屋さんを手がける会社も多かったのだろう。
我々はこの頃、百貨店で行われている催事という物に興味を持ち始めていて、よく家族で話し合っていたものだ。
「 百貨店に出るにはどうしたらエェんやろ? 」
「 売上の数10%と出店代も数十万いるらしいで 」
「 そんな高いんかいな、出たいけど無理やなぁ 」
「 それにバイヤーさんとは、どうやったら繋がるんや 」
なんせ今まで山城が歩んできた歴史の中で、エンドユーザーさんと繋がることは必要ではなく、メーカーを飛び越えるという事もご法度だったのだから知らぬのも無理はない。
人から聞いた話によくある嘘と本当が混ざり合う”らしい”が一番こわいw
そんな時にひょっこりと現れたのがTさんだった。
今度あべの近鉄の大催事場で、”和もの”をコンセプトにした大きなイベントがあり、Tさんが得た区画では”和Tシャツ”をセレクトしたいのだという。そこに我々が販売し出していた10色展開のTシャツと、手描き友禅のTシャツを並べたいようだった。
この頃には既にプロトのプロトというべき自身で撮影した画像を並べるだけのWEBサイトを立ち上げていた。次話で書くが、その頃のWEBサイトといえばカートシステムをエンジニアに一から構築してもらうような時代で、立ち上げるにも超高額だったから手に負えずにいた。
そのWEBサイトを見て来店したとTさんは言う。
まだWEBサイト自体は少なかったとはいえ、何故に山城が、どんなワードで引っかかったのか?という疑問から、WEBサイト運営では大切な”SEO”の部分にものめり混んでいくのだけれど、こんな事もあってWEBサイトへの夢は膨らむようになっていく。
その後、Tさんとの話はトントン拍子に決まった。
商品を貸し、販売してもらった手数料を相手に渡す委託契約。
しかし、全てが初めての経験。
“委託”という言葉さえも知らなかった私達。
本来ならば搬入日に商品を送り、Tさんが商品をブースに陳列する手筈だけなのだが、私達は何故か百貨店の営業後に行うTさんの陳列作業を手伝った。そして今となれば考えられないが、翌日からもTさん達と店頭に立ったのだ。
Tさんとしても困惑したはずだ。
なぜ搬入に来てる? なぜ店頭で販売をしている? だったはず。
しかし一番しんどい搬入を手伝ってもらえて、食事休憩にブースからも離れられる要員となった私達を”大人として”大いに利用した。正直に”委託”ってなんですか?と聞けば答えてくれたはずだが、聞かなかったのだから我々の落ち度である。
ただこれには予測していなかったメリットが生まれた。
一つは不憫に思ったのだろうか、Tさんがブースの一番良い場所に山城の商品を並べて良いと言って下さったこともあり、予想以上に売れたのだ。Tさんがセレクトしてきた商品は和モチーフのプリントTシャツが多く、山城の手描き友禅は目を引いたのだろう。
それに、着てみたらとても着心地が良かったと会期中にリピーターさんも現れた。
確か1週間で15万円ぐらい売れたはずだ。私達は、”知恵も知識も自信もない”なか、百貨店でも買っていただける人がいるんだ! を実感できたことは大きな自信に繋がったのだ。
また委託契約にも関わらず、店頭に立ったことが、バイヤーさんから面白がられる要因にも繋がったようだった。
集合ブースにも関わらず、そこそこ数字を取ると見なされた我々は、この大催事場を使った”和もの”コンセプトの催事が大盛況だったこともあり、Tさんを通さずともブースが貰える、所謂”一本釣り”と呼ばれる取引に翌年から変わっていく。
要は山城単体で一つのブースを貰えたという小さな出世である。
バイヤーさんからすれば無我夢中だった我々に「チャンスやるわ」といった感じだったのだろう。
この期待に応えることができれば、翌々年や別の催事でも出店でき、別店舗バイヤーにも引き継がれる。また各催事には別百貨店のバイヤーも視察に来ていて、バイヤー同士の横繋がりもあるから、彼らの目につけば他店に出店できるチャンスも獲れるのだ。
全く戦略的ではなかったが、彼らと繋がった”あの1点“は、その後の人生においても、山城の軌跡の中でも大いなる恵み、気づき、大切な事を教えてくれた。
やはり出会いは偶然のようで必然的である。
今になればドミノ倒しの門を見た瞬間だったと思えるが、当時は何がなんやら無我夢中、あっちの壁に当たってはこっちの壁にもぶつかっていく蛇行運転真っ最中の私は相変わらずである。