記憶を辿る 94話
– 商品開発 –
最近では、館内で着きていただく”しつらい着”を、オリジナルでつくる宿泊施設も増えているけれど当時の宿泊施設は、館内着として”浴衣”が一般的。そんななか、俵屋ではガーゼ織のパジャマを用意していた。
お客様に心ゆくまでリラックスしていただきたい。
そんな想いから、パジャマだけでなくニット(メリヤス)のスパッツ風パンツがあった。このスパッツのデザインを踏襲した京都ならではのやわらかな春や暑い夏をより快適に過ごしてもらうために、山城が手がける楊柳生地でこのスパッツ作れば、肌さわりや通気性からも最高なのでは!?
という女将の閃きがあって届いた一報。
この閃きを生み出した源は、父である社長の小さな種蒔きだったと思うとなんだか誇らしい。
サンプル作りから製品化まで、その後も多くのプロダクトを手がけているが、女将が導き出すモノへのこだわりと造詣の深さ、研究心や探究心、アイデア、企業の長としての在り方など、それはそれは勉強という言葉以外にはなく、一流の断片を窺い知ることができただけでも私の人生における貴重な時間であったことは間違いない。
その暖簾を潜らせてもらったのは私が25〜26歳。何も知らなかったボンクラ息子に、女将が一丁教えてやらなアカン!という思いを持っていただけたことへの感謝は計り知れない。
また、女将が信頼を寄せる支配人と親しくしていたこと、孫ほど年の離れた近所の兄ちゃん的な立ち位置に過ぎなかった自分が、界隈の事情を把握していたことなどが重なり、叱咤激励を含んで、心から可愛がっていただくようになっていく。
今になって思うのは”外部”の意見、私の年齢で感じる感覚をも勉強されていたんだと思う。
通常は”中の間”と呼ばれる場所で商談をするのだが、客室に工事が入った後や、しつらいを変えた時などはチェックも含めて、各お部屋で話すこともあり、本物に触れ、感じる機会が自然と増えていった。
それに、商談中には中居さんがコーヒーやお茶を出してくださり、美しい所作や気遣い、気品ある言葉などの全てを体感することができたのだ。これは、私にとって仕事をいただける上に、学びの多過ぎるスペシャルな商談だったのは言うまでもない。
俵屋旅館をもっと知りたくて、何冊も本を読む。
おもてなしという言葉やホスピタリティたるものは、言葉では簡単だが奥が深い。これらには全て”愛”が重要なんだという事も怒られながら(笑)
深く感じられるようになった。
商談中、女将に業務の報告が届く。
その内容によって、担当者が呼び出され、問題の原因と事実を突き止める女将。
時には厳しい叱責も厭わない毅然とした姿勢。
そして、解決に向けた的確な指導や対応策を伝える。
中途半端な心持ちで、出来ない理由、言い訳などをしようものなら容赦なく雷が落ちる。
“そこに愛はあるんか?”のCMではないけれど、そこに”お客様へのおもてなしの心”はあるのか? が全ての判断基準であるから一切のブレはない。
注意を受けた者も、女将の個人的な感情で発せられているものではないから反省し、行動に移すことができるのだ。もちろん女将の立場やオーラもあるけれど、全ては”お客様にとってどうか”。
これは職業、商売に関係なく通じてくるが、11代続く老舗であっても奢ることなく、その道に邁進されているのだ。俵屋さんだから出来るのではない。
この考えの源となっている”お客様”への想いが現れた出来事がある。
タイヤメーカーが行う星の数ガイドブックに掲載させて欲しいと依頼があった際、「評価はお客様から頂戴します」と掲載を断られたのだ。いやはや私だったら広告枠であってもお受けする(笑)
趣味趣向は人の数だけ存在し、これだけの”おもてなしの贅”を尽くしても好みではない方もいるだろう。ご宿泊された方の意見や要望は、即座に改善に向けて検討される素直さ、そして私なら尻尾を振ってでも頼んでしまう案件を断る芯の強さ。
前話に”ぐにゃぐにゃとしながらも一本も二本も芯の通った”と書いたが、まさにこれこそが綴った理由である。革新なんてものは起こそうとして起こせるものではなく、日々起こる小さな積み重ねがあるからこそ、次に繋げる伝統が生まれる。
常にそこに居る、携わる者の”愛”を試されている。
老舗が老舗たる所以の1mmでも垣間見させて頂ける私は間違いなく幸せ者だ。