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コラム 日記 ブログ note ノート 91 話 京都 老舗 中京区

The 京都

山城がTシャツを開発する少し前。
悶々と大分の地で過ごしていた時の事、業界紙で1行の見出しを見つける。

繊維のプロ集団、世界を目指すThe 京都

確かこんな見出しだったと思うけれど、何かにすがるような思いで編集部から聞いた連絡先に参加を願い出た。代表の方は若者に参加して欲しかったようで、来月の会合に来ても良いと言ってくれた。

何とかヒントを得たいという思いもあったけど、正直なことを言えば”帰京して遊びたい“という思いが先立っていたのは否めない。会合に合わせて帰ることで、少しでも長く、1時間でも長く京都に滞在できることが嬉しかった。

The 京都という集団は、京都市内の染色や生地、加工を手がける会社の代表などが集まったプロ集団で、当初は志を同じにする仲間だけの集まりだったものが、やがてその波紋は広がり、私が参加した会合には10数名の参加者がいた。

発起から1年ほど経っていたようで、既に重鎮、中堅、若手の棲み分けは出来上がっていた。

雪か雨かわからないような凍てつく底冷えの中、指定された嵯峨方面にある事務所に行くと、「今日から参加する山城の稗さんです」という紹介を頂いたのだが、今のように色々なプロダクトがある訳でも、何かの技術でお手伝いをしたいというのでもなかったから、参加者全員が「 なんで??? 何してる人??? 」みたいな反応だった(笑)繊維関係に携わる若いヤツぐらいの印象だっただろう。

ただ重鎮の1人が、肌着で使用するクレープ生地という物に深い反応を示され、何とか残留というか見初めてもらい、2回目、3回目の会合に呼んで頂けたことは確かで、参加はするが発言はゼロな状況だった。

面白いのは、この時にその重鎮がおっしゃっていた「 そうか! 綿100のプリーツはあったんや!! 」は後々に弊社が手がけ、ミヤケイッセイさんに採用されていくプリーツ生地の開発に繋がっていき、形態安定加工を施した商品を生み出すのだから、やはり人生に無駄はなしである。
あるのはタイミングの違いだけだ。

新聞 雑誌 掲載 プレスリリース kyoto 記事 cf クラブフェイム

The 京都の目的を簡単にいうと、自身達が持つ技術を結集させ、最高で最強の最終製品を世界に届けたい! という思いで活動し、金銀糸で織られた西陣織の生地を使ってハットを作ったり、これほどにも凝るか?という技法を製品の何処かに盛り込む事で、差別化を図っていた。

当の私は、前述の通り発言が出来るほど知識や経験がある訳でもなく。
手掛けられていた製品の課題や情報が下りてこなかったという事もあって、The 京都からは離脱したのだけど、見聞きする知識や技術は本物だった。

PCで使うプリンターのように、生地にプリントする技術が生まれつつあった中、早々に設備として導入していた会社、夜な夜な家庭用の染色粉を使って色出しをしていた私に見せつけられる色や染色技法の明らかな差、アパレル製品の利益の出し方のアドバイスなど、今までの山城で必要がなかった情報を教授いただいた事は大きく、Googleでは出せない答えの多くをThe 京都から教わった。

後に日本のデニムが世界的にブームになった頃、会合で中心人物だった方が”鬟(ミズラ)”というブランドを手がけられた事を新聞で知った時には、全く関係なくとも自分の事のように嬉しかった。

しかも!
プレスリリースを目にしてから数ヶ月後、山城店舗前にあった空きテナントに”鬟(ミズラ)”のオンリーショップが開店したのである。なんか工事してるわと思っていたら” ?! ” である。

会合に参加していた時にもオンリーショップ構想は熱く語っていらっしゃったし、夢は叶うんだという事を魅せていただいた。

何の爪痕も残せないThe 京都への参加だったが、今でも染色でお付き合いをしていたり、手がけておられるゴルフブランドで山城の生地を採用したいと声をかけて頂いたりしているのだから、やっぱり、やっぱり人生に無駄はない。

三代目のコラム 記憶を辿る92話に続く

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