記憶を辿る 90話
– ビラ配り –
オリジナル商品を世に出すまで何年かかったのだろう。
本来なら春夏物は2月頃に立ち上がるはずなのだが、開発に時間を要したこと、そんな知識を全く持ち合わせていなかった事もあって、発売は京都全体が祇園祭に沸き立つ少し前だったと記憶する。
ワゴン品、絞り染めハンカチやシャツなどに紛れての発売。
店頭といっても会社と家兼用の開けっぱなし玄関前のみ。
事務所との境に大きなテーブルを置いて陳列する程度のディスプレイは、小さな小物も色々あって、Tシャツの置き場所に困る。ならばと天袋にパイプを取り付けてみたが、同じ型の商品が色違いで並ぶ様は何か変だ。
最初のプロダクトは贅沢にも10色展開の4サイズ揃えたから、全色をハンギングすると洗濯物屋さんみたいだと、私の目には映った。
色とサイズ展開だけを見ると贅沢なはずなのに、魅力的に見えないそれらを、セレクトショップを経営していた友人や、アパレルショップで働く知人にアドバイスを請うた。
事務所のあちこちにハンガーをかけられるようフックを取り付け、T字状のシャツを立体的に見せる什器を購入したり工夫をしたが、手芸が得意なおばちゃんが片手間に経営する町の洋品店感が拭えず、今度はこの”事“が自身の抱えるコンプレックスや大きい課題となって生まれていく。
課題なのか理想を求めすぎる我儘なのか。
店舗と呼べるような店でなかったのは確かだった。
それでも発売したからには”売り“が先行で、在庫を少しでも早く減らすのは必須だから、時間が空いている友人に頼んで祇園祭の夜店や、巡行を見にきた観光客と歩行者に”京ちぢみTシャツ新発売”のビラを配ってまわる。
このビラ配りは即効性があって、店に休憩で戻るとさっき渡したなと思う方が商品を広げてくれていた。この体験は、どれだけAIがネットでバズらせる技術を作り出したしても残っていく手法だと強く思う。
例え、チャットGPTが上手い言い回しや説明文を考えてくれたとて、いま読んでいただいているコラムは書けないはずだ。だって、これは私の体験記だから。ソース元となる情報があったとしても、思い出や経験をAIが書けるはずはない。
また少し話がそれてしまったが…このコラムがどうのということではなく、残るのは、いや残すものとはこういう物なんだろうなと感じる。
ワゴン品の横で売られた新しい商品だったわけだが、様々な経営本や関連本を読んだ事もあって、販売単価のアップは当時から目指していた。
それは染色の技法であったり、プリントであったりしたのだが。
その中で”評判”を生んだのが手書き友禅を用いた商品だった。
当時は和物ブームが起きていて、手書き友禅を用いたデニムやシャツ、アロハシャツなどがファッション誌を彩っていた時代である。京都の地の利を活かそうとしたそれらは比較的簡単に手に入ったことを思い出す。
このころ既に着物業界は、過去の規模感から見れば衰退の兆ししかなく、分業制の職人さんは次の一手を探そうとしていた。前のめりで活動している所は”工房”として、腕に憶えのある人は口伝や地元紙にフューチャーされる事も多かった。
最初に門を叩いたのは、既に京都ブランドのパイオニアとしてブランド化され、話題性の高かった亀田富染工が手がける”Pagong”さん。次いで色々なブランドからの引き合いも多かったが、今はもう廃業された”工房 蛍”、あと数名の職人さんにお願いした。
最初のPagongさんに依頼した時は有名なお店に依頼したら、Tシャツにも興味を持って発注してくれるかも知れないという想いと、確実な”センス”が手に入るからに他ならない。
潤沢に職人さんは揃っていたようだったが、料理に上手下手があるように、着物業界にいた手描き職人だからといって全員が迫力ある絵が描ける訳ではなかった。
花が得意な人、鳥獣が得意な人などさまざまだ。
それにこちら側のデザイン案から意図する方向を汲み取り、立体で着る洋服に描くには、職人さんのポテンシャルと経験、見聞きされているモノの質と量にもよって変わる。
ユニクロの柳井さんが説いた有名な言葉がある。
“センスは動いた距離に比例する”
本当にそうなんだと思う。
細かなデザインのやりとりが、顔を突き合わせながらすぐ出来るというのも大きかったが、Pagongさんが所有されている過去のデザイン案の量、工房 蛍から上がってくる少しの工夫(蛍さんのセンス)で引き立つモチーフ。
これらで得られた商品のクオリティは、正に着物文化が深く根付いた京都ならではで、工賃はそれなりに高額だったけれど店頭で目を引き、山城のTシャツを手に取ってもらえる事も増えていく。
余談だけれど、こういった作り手の”良“を求めると行き着く先は同じようで、後年こういった手描き系に携わったブランドさんと話をすると丸かぶりしていたことも判明した(笑)
同じ”京都物”として相性が良かったのもあり、予想以上の売れ行きをもたらしてくれたと同時に、諸刃の件である事を知るのはもう少し後のことだ。