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染色工場

一般的には黒のTシャツなら黒い生地を使うのが一般的なのだが、山城が培ってきたのは”白”を基調とした清潔感を感じるインナー向けである。それにカルチャースクールで得た”色を加える”という知識を重ねた結果、当初から出来上がった生地に色を加えるという手法を選んだ。

メリットとしては生地を黒にするには、ある程度のロットと呼ばれる数量を染めなければならない。しかしこの方法を選んだことで、およそ生地を染めるより半分の数量で商品に色をつけることができる。

しかし縫製する糸も、染めが可能な綿糸を使うことになる。
本来は、ツルツルとして強度の高いスパン糸の方が縫う際の糸切れも少なく強度が高い。
おまけにコストも安い。

私が選んだ手法は、実に一般的ではなかったのだ。
ちなみに違う工場で綿糸を使って下さいというと余り良い顔はしてくれないのが実情(笑)

世に出回っている衣料品のほとんどがスパンデックス糸が使われている。
スパンデックス糸は、染色ができないのが特徴でもある。

ときどき、ステッチ部分のみ違う色の服が販売されている。
自然派系のショップで”リユース”や”SDGs”の考えに基づいて、身頃の色とは違う糸で処理され、意図的にステッチしてある商品もあるが、なかには売れなかった服の色を再染色して別のカラーとして販売する際、スパンデックスの糸は染まらないから、元の色が残っている。という服も多い。
意図してステッチしたのかどうかを見るのもなかなか面白い。

こうして製品で染色してくれる工場を探し出すが、検索エンジンはヤフーが席巻していた時代。どうやって辿り着いたかは記憶にないが、ようやく辿り着いた工場は京都の小さな工房だった。そこはおっちゃんが1人で切り盛りしている工場で、製品を入れる釜も小さかった。

小回りは聞くけれど納期は遅く、コストも高い。
そりゃそうだ、おっちゃんの体は一つで日当を枚数で割り算するのだから仕方がない。
こんな工場が京都には多くあったけれど、どこも同じような結果だった。

頼りないインターネット時代だったとはいえ田舎ぐらしが功を奏し、衣類購入は代金引換便で頻繁に利用していた経緯もあって、当初から商品が出来上がればネット販売は必須だと感じていた。
既に楽天で成功されていた京都で有名な白鳩さんのセミナーに行ったこともあった。

それらを色々と回遊しているうちに一つのブランドを知る。
そこは染色工場さんが、独自の技術を使って染め上げた商品を販売されており、紙に印刷するように、生地へプリントできるインクジェットプリンターも早い段階で導入していた。

早速アポを取って伺うと、工房で提示されたコストを遥かに下回る工賃に驚く。
大量に染色しなければならないけれど、そのコストは商品価格に転化されるからシビアな世界である。商談中に思わず「やすっ!」と言ってしまい、 今となれば、なぜ「そこそこですねぇ」と言えなかったのか(笑)
企業への提示価格は一律だとはいえ、私の浅い感じが見え隠れしてしまう。

今でも山城製品の多くは”製品染”の手法を取っている。
形にしてから染めて完成させるやり方だ。

これのメリットは、染色過程で最大限に縮まるため、目指すところの伸縮性は大きく取れ、色は如何様にも変化ができる。デメリットは縮率と呼ばれる生地が縮む率を予め型紙に落とし込んでおかなければならず、最終製品になるまでに何度もサンプルを作る必要があり時間がかかる。
それに最終製品でも寸法にバラつきが生まれてしまう。

このバラつきにはクレームが起こることも多く、それらを防ぐために、色のついた生地を使って最終製品まで作るメーカーは多い。ただこちらのデメリットは、お客さまの洗濯などの扱い方によって大きく変化する恐れがある。

最近ではこれらデメリットを最小限に抑えるために生地屋がバラつきのないようにしているが、当時はまだまだこういう考えは薄く、買ったTシャツが洗濯したら大きく縮んだなどという事例は多かった。

最近では忙しい人も多く、洗濯乾燥機が普及していることもあってワッシャーと呼ばれるコットンライクな”洗い”をかけた化学繊維の生地も多く、時代の生活様式と共に生地業界も変化している。

それらを知らずで製品染の選択をした訳だけれど、染色工程は高温のお湯を使い生地に色を入れていくため、不揃いだった綿繊維が集まりだす。密度がより濃くなるので大きく縮むのだ。
これに加えて最終工程で乾燥機をかけるから余計に縮む。

今では山城の着心地はこれらが無いと完成せず、今でも理想とする寸法に持っていくために最低3〜4回はサンプルアップする。(プリーツ系なんて10回は有に超える)
ただ当時はまだ行く末も分からない状態。

本来ならば最終形が決まったところでサンプルを作るべきだった。
しかし縮む事を知らない我々はそれらを怠り、かなりの枚数が目論む寸法とは違う寸法で仕上がってきた。そのサイズ感はMサイズがXSサイズほどに仕上がっていて、参るどころか白旗モノだった。

それらを繰り返すうち、前話でも綴ったように3年が経過していくのだが、この大きく縮ませてしまった事件は不幸中の幸いともいうべき箇所に落ち着く。

出回っていたブランドTシャツを元型としたけれど、これが一様にアメリカサイズを基準とした大きなサイズ感で作られており、縮んだことで女性に適したサイズに仕上がっていたのだ。

当初は寺町や新京極を歩く20代に来てもらいたい!
と始めた案件だったが、発売するや否や、82話でも綴ったB品をお求めになるお客様が代理購入の女性が多かったのもあり、購入いただくお客様のほとんどが女性だったのが不幸中の幸いだったのだった。

三代目のコラム 記憶を辿る90話に続く

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