記憶を辿る 86話
– 最初の一歩 –
前話までにあるように商品開発に向けて生地や染色、型紙などで進捗状況が変わらない中でもサンプル制作は続けていた。時は”和物ブーム”が到来する少し前。
京都では亀田富染工さんの京友禅の柄を使ったアロハで有名なパゴンに火が付くか否かといった頃。
私は、肌着生産の管理と工場勤務という代わり映えのない毎日が続いていた。この頃は潤沢に縫製加工も頂いており、これからは何がなんでも自走していくんだと意気込まなくても良い状況。
ただ新しい何かを求めウズウズしていたんだと思う。
今でこそプレミアムな生地を使った有名メーカーの男性用下着は多くあるが、この頃は安さが売りの中国製品の品質もまだまだ問題が多く、国内生産分も”安さ”を追い求めているような頃だった。
2枚一組1,500円! とかの商品が量販店に並んでいた。
クレープ肌着は分かりやすく言うと、楊柳と呼ばれるストライプ状にデコボコのある生地そのものの価格でおよそ上代が決まる。生地によって縫製しづらいとかで工賃が変わるから自ずと販売価格が変わってくる。
かなり分かりやすく伝えるとこんな感じだ。
元々楊柳と呼んでいる生地は、山城にある”自然シボ“や”近江麻“のように、目に見えてデコボコのあるタイプを指す。クレープと呼ばれるのには理由があって、高度経済成長期に手間と時間がかかり、値段も高くなってしまう楊柳生地に似せた生地が量産され出した頃に始まっている。
クレープとは食べるクレープと同義語だ。
元はフランス語の形容詞である”ポワポワ”した様がクレープと呼ばれており、小麦粉を混ぜた生地を鉄板に乗せた際に出る気泡を、体との接地面積が少なくなる楊柳に見立てて呼び始めたのが始まりだ。
当時の日本はカタカナ語が流行っていたんだろう(笑)
こうして生産量の少なかった楊柳は、大量生産の波と共にクレープと呼ばれていくようになっていく。
同じ楊柳だけど、山城の”ピケ生地“はクレープと呼ばれることの方が多い。
チーターはネコ科のチーター属、ライオンはネコ科のヒョウ属といった違いだろうか。余計にややこしいか(笑)
山城では本物の楊柳しか扱わないが、世の中には型押しで楊柳感を出した”風情”があるから要注意である。
ソーイングショップが扱うのは、大体この”風情”が多い。
なぜ風情が多くなるかというと、型押しで”楊柳感”を出しているだけなので、極端にいうと安い平織の生地で作れてしまう。横糸の撚り(捻り)で生地が伸び縮みするのが本物だとすると、この”風情”は型押し部分が伸びているだけ。
これは経年劣化が起こる早い段階で平織生地製品になっていく。
要はお客様が体も心も快適になっていただくのが一番だ。
それが例え”風情”であっても納得されているならそれが良いのだ。
正義は角度で変わり、こんなウンチクや職人魂のようなものは必要ないけれど、同じ諭吉さん1人を婿にもらうのなら嘘のない本物を届けたい。
作り手として運営していけるだけのギャラは頂くが、できる限りコストは削った上で良い物を提供するのが、初代社長から続く山城の変わらないスタンス。扱う製品は変われど心まで変える気はない。
たまにWEBショップのレビューで「もう少し安ければ」「高くて」といただく事もある。真摯に受け止めながらも、それはお客様の価値観での判断であり、本来の商品にかかるコストとは無関係である。
高く感じてしまうのであれば、持つ喜び、手に入れた喜び、着心地から感じる喜びを持ってもらえていないということ。クオリティは下げたくはないから、やはりステータスを上げていくことが最も優先する事項となる。
仕事の合間に、肌着の型紙で作るサンプル。
同じクレープ肌着でも、何か新しい事が出来るんじゃないか、縫製仕様もこうした方が見栄えが良くなるんんじゃないか、ブームになりつつあった”和物”を取り入れたら若者にも取り入れてもらえるんじゃないかなど日々追い続けた。
しかし作れば作るほどクレープ肌着の、前開きボタンシャツ、U首シャツ、ロングパンツ(ステテコ)の縫製仕様やデザインには無駄がないことを思い知る。
長く取られた着丈は、高い場所の物を取ったりといった動作でワイシャツがパンツから捲れ上がっても、中の下着は絶対にパンツから出てこない絶妙な着丈だし、広く取られた襟元のUネックは第二ボタンまで開けたとしてもチラ見えしない。
パンツのゴムもスラックスに干渉しない股上寸法とゴム厚だ。
肌がデリケートな人も着用できるよう縫い目が当たったりしないよう縫製するミシンの機種にも配慮してあるのがクレープ肌着だった。そう、もう既に手を入れようにも入れる隙はなかったのだ。
いや、変えようと思えばできたはずだ。
けれど良い意味で変えてこなかったクレープ肌着は、おっちゃんが安心して買い足しのできる商品として鎮座してしまったから、変えてはいけない商品になった。
もし変えてしまったらどうなっただろう…
いつものクレープ下着を買ってきてと、頼まれた奥様が買ってきたものが変わっていたら、もしかしたら夫婦喧嘩に繋がったかもしれない…そんな家庭が増えて、離婚が増加し社会問題にまで発展していたかも……しれない(笑)
いや今でも変わらず販売しているクレープ肌着がある以上、あながちホラ話ではないような……んなわけないな(笑)
こうして世の中には変えなても良い物と、
いけない物があることを知っていく。
そんな頃、アドビ社が提供するイラストレーターというソフトを習う教室にも月一で京都で通っていて、このソフトを使って暇な大分ライフを潰していた事もあり、自身が作ったグラフィックを使いたくなった。
和物ブームが始まっていたとはいえ、まだまだストリート全開(83話)だった当時、どんなブームでも使われ、かつ汎用性の高い物といえば何だろうと考えた私は、Tシャツブランドを考えていたこともあって、それはTシャツだ!という答えに辿り着いたのだ。
ブランド名は違えど巷に溢れるTシャツの大元は、ボディ屋と呼ばれるカタログに掲載されるTシャツにプリントされただけの物だし、ブランドからはもちろん、展示会やスタッフやチームの制服などで使ってもらえるんじゃないか?
この頃はまだ自分達で色々な商品を発売していくという考えではなく、あくまでも卸として大きく商品を動かしていくイメージでしかなかったが、こうしてシルクハウスに続く第二弾として山城のオリジナルの草案が出来上がった。