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熱意で開く門

染色で出す色に奮闘しながら、次の興味は型紙だった。
パターンメイキングの世界は奥が深く、一長一短で身に付くはずもないのだが、無学が故に体当たりでしか進み方を知らない私は、無謀にも服飾専門学校に通おうという選択肢を思いつく。

そんな簡単にプロになれるはずもないのに、どうしても”その道一筋”という思考回路になってしまう要因は父の影響があると思う。全て完璧にしなければならないという、思えば強迫観念とも取れる性格の父を見よう見真似で受け継いできた。

国東工場で勤めてもそれは変わらず、父は私にミシンのプロになれという。
しかし父が言った”その道のプロ”が、どうしても性に合わなかった。そしてその性に合わないという言葉を発する事は、家族の期待をも裏切るようで告げられずにきた。

母にも父と似たようなところがあり、あるとき着物屋さんを営む母の友人に、友禅の絵が描かれた本を見せてもらいに行った。私は題材となる友禅の絵を片っ端からコピーをし、コピーを終えて帰ろうとした私に、

「え?もう終わり?  物語や云われはコピーしなくて良いの?」

と怒り気味に言われた。
友人の手前もあったのだろうか。

「誰もが深掘りするわけじゃないし広く浅くっていう性格もあるんやし」

とその友人がフォローした。

なるほど、私は次から次へと興味の対象が変化し、物事の上辺を上手く利用してしまう思考回路だが、父や母はその道のプロを目指したり、物事を深く知りたいんだと。これ以降、何かある度に自分でも自分自身のことに気付き始める。

しかし、育ててくれた父母の「追及」を求める考えは、育ちのなかで育まれたもので、自分の性分と重ねると、矛盾が生まれる。この状態を肯定するのか否定するのか。
私は長くこの間で揺れ動き、自身に課してきた。

ようやく最近になり、物事に猪突猛進ができるのは「追求したい」という育ちの部分で、広く浅く良いところだけ抽出し形にしようとする自分の性分との折り合いがつき始めたような気がしている。

さて話は戻り、大分市内の服飾専門学校に連絡を入れた。
今は入学の時期じゃないと説明を受けるが、はいそうですかとはならず食い下がる。ならば一度お会いしましょうと言ってもらい、その学校の会議室で会うことになった。

「 本校へのご入学を希望なのでしょうか?」
「 いいえ、型紙の引き方だけを教えて頂きたいのです」
「 本校では、そういったカリキュラムは無くてですね…」
「 そこをなんとかならないか?という事でお伺いしているんです」
「 ……… 少し校長と相談してみますので、後日ご連絡させて頂いてもよろしいでしょうか? 」

数日後、生徒の補習のために土曜日を開けているから、その時間なら教えても良いと返事がきた。こうして隔週で大分市内にある服飾専門学校に通うことになったのだ。

この熱意、押し、いや図々しく厚かましいのだろうか。
我ながら感心せざるを得ない(笑)
そして、受け入れてくれた服飾専門学校への感謝も尽きない。

こうやってウィークポイントを自分なりに伸ばした結果、20年後には有り得ないブランド様とのお付き合いが始まったり、大きな通販さんと取引が出来るようになっていくのだが、それはもっと先の話になる。

この服飾専門学校は大分市内の繁華街にあった。
土曜日の9時から15時まで生徒達と一緒に学ばせていただく。

学ぶといってもメインは生徒の補習だから、貸して頂いた教科書を読み、1つだけで良いから完成させましょう。わからないところがあれば教えるというやり方を用意していただいた。

この学びは隔週で3ヶ月ほど続いたが、在校生が卒業後の来季は難しいと告げられた。今考えても、よくもまぁ受け入れてくれたものだ。

真っ直ぐに突き進んできた私のような人間を、学校側もかわす術を知らなかったのかもしれない。今では、廃校になってしまったが、この場で心からの御礼を伝えたい。

本来ならば製図からトワル(仮縫い)まで行う予定だったが、辿り着けず終わる授業。しかし学びたい気持ちは変わらない。悶々としていた矢先、繊研新聞に掲載された広告を目にする。

それには月一回から学べるパターンメイキングとあり、これに乗っかるしか方法はなかった。京都に帰る日に併せて受講する事になるのだが思惑は大きく外れることになる。

三代目のコラム 記憶を辿る85話に続く

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