記憶を辿る 81話
– 鬱憤 うっぷん –
台風後の暴挙によって何もする事がなくなった休日。
自身が蒔いた種とはいえ、ストレスは溜まる一方だった。
現在では”ある幸せ”にフォーカスすることで心の不安定はなくなったが、この頃、私は二十代半ばである。かゆい所に手が届きすぎた環境で育ったゆえに、私は”ナイ”ことばかりを数えていた。
本がナイ、TVがナイ、ご飯屋もなければ飲み屋もナイ…
あれもなければコレもナイナイナイ。
韓国に住む幼馴染とのチャットが唯一の拠り所。
付き合ってくれていた彼も、慣れない異国の地での毎日と慣習の差に疲れ果てていて、お互いの傷を舐め合うように、抱えたストレスをキーボードにぶつけていた。
そんななかでも日常は進む。
日中の仕事はおよそできるようになり、各工程の忙しさを見ながら、助っ人に入るという毎日が続く。最も多く助っ人に入ったのは”アイロン場”。
“プシュープシュー”という蒸気音と共に仕上げる枚数はおよそ500〜700枚。
熟練のおばちゃん達に混じって朝イチから17時まで作業を行う。
「 隣でプシュプシュするから、こっちがつられて疲れてしまうわ 」とクレームも入ってたが、私からすれば”してやったり”だった。
忙しいから手伝っているのだ。
歩調を合わせるように作業をするのは違う。
たとえ嫌われても、バシバシとケツを叩いていく。
すると今度は”仕上げ場”と呼んでいる、検品工程からクレームが入る。
アイロン場から仕上がった商品は、何段もあるスチール棚を埋め、朝から晩まで検品をしてもスチール棚から”仕上げ場”のノルマは無くならない。
私が”いけず”に振る舞ったのは、検針機を通して各メーカー行きの段ボールに入れて出荷となる最終工程にも助っ人に入り、検針担当が手持ち無沙汰になるぐらいに手伝った事だった(笑)
当然、板挟みになった検品担当からは嫌われたけれど、ボンボンだからと受け入れないのだったら大いに利用してやるぞとばかりに会社というものを主軸に考え、”すべきことは何か? “で行動できるようになると余計な話は耳に入らなくなった。
ある時、メーカーに納品した商品が全て返品になった事がある。
OKだった仕様が、急な変更で全てやり直す必要があるという。
無茶を言われる事は下請けあるあるだけど、修正しなければ納品できない。
ただ現状を見渡しても手が空くスタッフはいない。
結局は私か、社長である父親のどちらかしかない。
高く積まれた2万枚強のダンボール壁は、今思い出しても圧巻だ(笑)
納品したのは我々だけれど、すべて返ってきたから当然だ。
しかもそれらはどれもパッケージに入っていたから手間も相当かかる。
嫌だ嫌だと逃げ回っても、最後はしなければいけない案件。
ならば取り掛かるのは1秒でも早い方が良い。
作業を進めると改善点や、やり方を思い付き、想像よりも簡単になることがある。何事もそうだが、物事は後回しにすればするほど、大きな問題となって現れる。
現にそのとき見つけた方法は、作業の流れを掴んだからこそ生まれたやり方だった。そしてメーカーが設定した納期よりも早く納品できた。
これは、動きながら頭を使う事の大切さを身に染みて知った出来事。
その時、得た経験は何事にも勝る自分へのご褒美だ。
前に進むから失敗があり、進まなければ何もない。
ナイを作り出すのは全て自分自身。
ナイと思っていた国東で、たくさんのアルを発見した。
海に山に風に太陽の光、時間に夜空など含めて、本当はいつもそばにあったのだ。
ナイナイと唱えていたあの頃のナイはもうナイ。
アルを数える人生の方が楽しく思える40代である。