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記憶 辿る ボン ぼん 山城 やましろ ヤマシロ 京都縮織

新生活

新生活は5時半に起床し、身支度を整え国東工場へ通う日々。
1日の仕事が終わって帰路に着くのが19時過ぎ、そこから買物をして食事を作って風呂に入る。新しいことを覚えていることもあって、1日1日があっという間に過ぎていく。

「九州だから暖かいんでしょ」
と、よく言われるが、国東半島は両子山を中心にした円形の半島だ。
玄界灘や豊後水道からの風が両子山でぶつかり合って風が恐ろしく強い。
温暖化とうるさい世間だけれど、冬は必ず積雪する。

その代わり真夏以外はクーラー要らず。
浜風は家の中を吹き抜け、京都のような陰湿な夏はそこにない。
朝日溢れる海岸線を走る出勤タイムは至極幸せを感じる時間だ。

午前7時には国東市全体が準備万端。
8時にはフル稼働状態だから、16時には全てが手仕舞いに入り出す。
17時には町が眠りにつき出しているし、日の長い夏は時任三郎のCMにあった”5時から男”を楽しめる世界でもある。

それを願ってハワイアンのように朝は海へ行ってサーフィン、仕事が終わってもう1回というスタイルを確立しようとしたが、秋の台風時期以外はサーフィンのできるような波は立たないのが国東半島だった(笑)

思ってた九州とちゃうやんけ!
は住み始めた私が一番感じたかもしれない。

後にこの波が立たない事が災いになった1件があるのだが、それはまた後日。

軌跡 歴史 ブランド ストーリー 昭和 平成 令和 ファクトリー 工場

社員さんが出てくるまでに始業を整え、工場内での作業や流れ、内容を止め度なく覚えていく。最初に配属されたのは外注先さん周りだった。

ちょっとそこまで! が車でも5分ほどある距離だったというのは田舎あるあるだけど、近所の外注先さんだけでも当時20〜30件。

だいたい1人1部位を縫う外注さんなのだが、強者は2〜3部位をこなし、庭先にミシン専用のプレハブを立てて縫ってくれていた。
工業用ミシンというのは専門性が強く、1台あれば色々縫える訳ではない。

肩や脇、裾、その部位によってミシンは違う。
山城の得意としてきた前開きシャツの”襟部分”だけでも2つの違うミシンを使用しており、1つのミシンでほぼ全行程を縫ってしまう今の肌着よりも、こだわりを詰め込んだ男性用肌着なのだ。

ちなみに大手メーカーの裾処理は1ミシンを使った1工程だけだけれど、山城のクレープ肌着は3工程入っていて、今でも山城がWEBショップで販売しているクレープ肌着は全てこの仕様となっているのは自慢の一つでもある。

この工程別に外注さんがいて、それぞれの家に明日の朝までに縫ってもらう商品を届けるのだが、外注さん同士の家が離れているものだから工程順には進められない。

Aの外注さんが縫った商品は次にBさんだけれど、それまでにCさんの家と、違う工程を縫ってくれるDさん家があるから、Eさんの縫った商品を引き取って…と頭がグチャグチャになる(笑)

これのやりくりは糸商で体に入っていたからよかったのだが、人によっては予定よりも倍以上縫ってくれたり、縫ってなかったり。

同じ工程を縫う人が数人いたりと振り分けが非常に大切な役目になってくる。
外注さんの工程別に枚数を書き込んだ日報を毎日チェックする父親は、

「お前ここにコレ溜まってるやんけ、あっちとこっちにまわせ」

と私ともう1人の社員さんに指示を出し、常に決められた納品枚数を満たすための流れには最大限の気を配っており、1日の遅れは1ヶ月の納品枚数、ひいては売り上げに直結するのだから当然である。

それは今の店舗2階で縫い子さんが寝泊まりしていた頃から続いていて、当時の思い出を聞く限り、京都市内でも10数件の外注さんがおられたようで、アレはこっち、それはあっちと組み立てる作業は、父にとって体の一部のようになっていた。

三代目のコラム 記憶を辿る77話に続く

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