記憶を辿る 62話
– ニューヨーク –
キーウェストからマイアミに戻ってからは特に何もすることがなかった。
ホテルに巣食う謎の延泊者連中とも仲良くなり、スクエア状に置かれたソファ会議にも参加していたが、マイアミのダウンタウンや危険地帯の1人見学ツアーも終わっていた私は、日に日に何をしに来たのか分からなくなってきており、次の滞在地に移動するべき日が近づいているのを感じた。
同じ頃、極寒のニューヨークになる前にそろそろ移動した方が良いんじゃないか?
と移動の拠点にしていたユタの友人からアドバイスをもらった。
滞在しているマイアミは夏であっても、ニューヨークやユタは冬の準備を整え始めていたからだ。
なんせ冬服など持参していないのだ、現地で調達する他ない。
急いでJFK空港に降り立ったのを覚えている。
降り立ったニューヨークは友人の忠告通り冬の準備を始めており、自由の女神だのエンパイヤステートビルだと言ってる暇はなかった。これはヤバイとStreetブランドが立ち並ぶSOHO地区へ向かった。
SOHO地区はお洒落なブランドが軒を連ねる地区で、自身の冬服とユタでは手に入らないであろうストリートブランドを周り、仲良くなっていた友人への土産を買い漁った。
しかしショッピングが目的ではない私はすぐさまチャイナタウン、リトルイタリーへと足を伸ばす。
かつて映画で見た排水溝から立ち上る湯気と裏路地の風景、通りの角ごとに門番のように立つギャングやマフィア(勝手にそう思っているw)、飲食から物販までがブロックごとに違う、活気溢れる街並みを楽しんだ。
翌日も脳裏にニューヨークの街並みを刻み込む。
セントラルパークやアッパーイーストの高級住宅街、自由の女神があるリバティアイランドなど。
徒歩や地下鉄を駆使しながら、足が棒になるまで見て回る。
しかしニューヨークでもマイアミと同じで、タイムズスクエアよりもブルックリンやハーレム、光の当たっている場所よりもバックサイドやダークゾーンの持つ独特の危険な香りが好きだった。
ニューヨークといえば、令和では当たり前になったウーバーイーツのような出前で運ばれる様々な食事にも興味があった。
スマホなんてないから地球の歩き方で学んだピザやベトナム料理、タコスに中華料理も楽しんだ。
日本では後年、でき始めたが、様々なスープを売る店に驚き、リトルイタリーで食べたピザが恐ろしく美味しく、ビデオで見て憧れていた中華料理のテイクアウトボックスの中身がほぼ”油”だったことに幻滅した。
ニューヨークで撮った写真には、崩壊して跡形もなくなったツインタワー、タイムズスクエアにあったMTVのスタジオ、巨大広告のブランドロゴなどが今とは全く違う様を写し出している。
あれから約20年が経ち、現在の私が同じように放浪したとすれば、家族を連れてハーレムやダウンタウンには行くはずはなく、どんな旅をチョイスするのだろう。
空想で良いから、家族で一度話し合ってみるのも面白いかもしれない。