記憶を辿る 61話
– マッキイロ –
静寂に包まれたキーウェストの公園。
今ある現実を直視した結果の野宿だった訳だが、予期せぬ事態はやはり面白い。この一夜も私にとって忘れられない夜になった。
疲労困憊でもベンチに横になった私に睡魔は訪れない。
今では図太くなって、怪獣のような子供達のイビキサウンドに安心や幸福を感じ、予期せぬミッキーロークばりの猫パンチやキックを受けようともビクともしないようになったが、当時は時計の秒針音でさえも気になる神経質さを持っていた私は、異国の見知らぬ公園のベンチで寝れるはずもなかった。
バックパックを枕にベンチに横になり目を瞑る。
遠くからザクザクという人の歩く音がかすかに聞こえてきたかと思うと、徐々にそれは近づいてくるのが分かった。そして凡そ近くに人の気を感じ目を開けると、身長が2mもあろうかという黒人が逆さに私の目に入ってきた。思わず声を上げて飛び起きる。
よくわからない言葉だが、大きな掌をこちらに向け「安心してくれ、落ち着いてくれ」とでも言いたげに私の動きを制止した。
ベッドのように使っていたテーブルベンチの真向かいに陣取ると、黙ったままこちらをずっと見ている。まるでアジア人を初めて見たような顔をして。お互い英語もままならない状況では会話も続きそうになかったが切り込んだ。
「 Where are you from? 」
「 クーバ 」
なに? クーバってなんだ?
聞いたこともない単語に狼狽えながら、全く通じない拙い英単語を駆使して紐解いていく。クーバとは言ったが、我々が使う和製英語との発音が違うことがすぐに判明した。
最終便でキューバから来て、友人が迎えにくるはずが来れなくなり、明朝発のバスを待っているような事を言っている。とりあえず同じような状況の相方が生まれたような気になり一安心した。
私は”Japan”から来たんだと伝えたが、いまいちそれは通じず”Kyoto”という単語は通じたようで、それがJapanの中の都市だったんだと初めて知った様子で、2人の心を解けさせる糸口は、それぞれの国の単語を教え合う事になっていった。
少しづつ打ち解けていった2人だったが、会話は途切れ途切れ。
徐々に口数は少なくなり、出会った時のように各々はベンチで横になった。
何時間ぐらい経っただろう。
またもやザクザクという足音が聞こえ始め、今度はハロウィンパーティを続けているかのような集団がこちらに来るのが分かった。それは徐々にではなく、途中から走ってくるような早い音に変わり、もう少しで2人のテリトリー内に入ろうかという頃合いでピタリと止んだ。
様子が変だと感じた私は起き上がる。
すると5〜6人の白人集団が目の前に現れていた。
瞬時に危険を感じた私は日本語で「なんやねんお前ら」と言い放つが早いかの間合いで、共に寝ていたキューバの彼がテーブルの上に飛び乗り、私を守るようにして立ち塞がる。
私もベンチから身を乗り出し立ち上がった。真っ暗闇に立ちすくむ超巨大な黒人と、立っても大して背丈が変わらないアジア人コンビが出来た瞬間だった。
白人集団は酔っ払っていて、少し揶揄うつもりだったんだろう。
しかし我々2人はアウェイな土地で神経を尖らせている2人なのだ。
キューバの彼はファイティングポーズで威嚇し続けている。
ハロウィンパーティ2.0の白人達は右手に紙袋を持ち、何か言いながら近づこうとしてきたが、キューバの彼が私に”安心しろ”という大きな手を見せた手で”これ以上近寄るな”と訴えるように集団を手で制止した。
数秒の沈黙の後、白人集団のリーダー的な人間が”もう行こうぜ”と言い出し踵を返す。
“何だよ面白くない”とでも言いたげに取り巻きも後をついて離れていった。
何度も何度も振り返ってくる間、キューバの彼はファイティングポーズを崩さなかった。
見えなくなってから2人は顔を見合わせ、緊張と緩和なのだろうか。
2人の取り合った行動を身振り手振りで笑い合いながら、異国の地の真夜中に起きた珍事件の余韻に浸り朝日が昇るのを待った。
朝日が射し込むと、自分達がいた公園のすぐ横に海岸がある事に気付く。
おい見ろよとばかりに2人で波打ち際まで行き、キーウエストの海を眺め佇んでいると彼が「会えて良かった、おかげで楽しい夜をすごせたよ」と言ってきた。もちろん俺もだよと返したが希望に満ちるはずのサンライズが、この後に訪れる別れを思い少し切ない気持ちになってきた。
どちらが言い出すもなく空港に向かう。
私はマイアミ行きの飛行機を、彼はタンパ行きのバスを。
偶然にもタンパ行きは間も無く発車するようだった。
彼を見送りにバス乗り場まで行ったが、互いに別れの挨拶やハグをする訳でもなく彼はバスに乗り込んだ。キーウェストの照りつける太陽の眩しさの中、どんな別れが正しかったんだろうと自問自答しながら走り去るバスの最後尾を見ると、大柄なキューバの彼が大手を振って別れを告げていた。