記憶を辿る 37話
– 心との乖離 –
高校生活最後の1年は、放課後につるむ連中と朝まで遊び続けた。
こう言うと私の親は放任主義のようだが、事実は全くその逆である。
反発し倒し、制御も効かないぐらい飛び出していただけだ。
話は前後するが、小学校低学年当時、20時ぐらいになっても新京極や寺町をウロウロしていた。親公認の1人散歩なのだが、これをたまたま見た友人の親が、私の親に「 真平ちゃん、なんであんな遅い時間にウロウロしたはんの? 」となって以降、異常なほどに厳しくなった。
抑圧と反発、親の期待に応えれない不甲斐なさが心中で渦巻く。
子は親の期待に応えたいものだ。
事業を引き継ぐ何十代目、後任社長への期待は半端ではない。
要は自分自身が課しているだけなのだが、それらは人格形成に及ぶから恐ろしい。私自身ここ1〜2年でようやく枷はとれ出し、小さな自分が喜びだしてきたが、まだまだ呪縛からは離れられていないのだ。
もはや反発よりも周りの期待に応えることで、自分の存在を示す毎日。
高校3年にもなれば、縦横の繋がりから生まれるネットワークも蜘蛛の巣状態。
早い者は既に免許も取得し、行動範囲は更なる広がりを見せており、友人の彼女が別の男から迫られているといった案件には、相手の家に乗り込み破壊して帰ったり、街の地回りからドラフトにかけられたり、誰それがムカつくねんけど、誰それと揉めてるんやけどといった案件ばかりが我々に持ち込まれていた。
しかしこの頃には昼夜問わず、街で大きな問題が起きることはなかった。
男女が入り乱れ、居酒屋をジャックし大酒を食らった後は、バーやクラブに行ったり、カラオケをしたり。ナンパに精を出す奴もいれば、ラップバトルをする奴がいたり。
メンバー各々が、夜の街を我が家のように振る舞っていた。まるでラグビー場と化した街で、何か問題が起きれば電話1本で皆が集まった。
後年、居酒屋で隣に座ったホスト風情が「 俺、木屋町獲るから! 」 と友人に豪語している姿を見て吹き出したことがあるのだが、この頃の私は正にこの状態と同じだったと思う(笑) 全く恥ずかしい限りだ。
勝手に作り出された”悪男像”。
この期待に応える事が生き甲斐になっているような所があり、全く関係のない話に首を突っ込み、ボコボコに殴られ失明寸前、痛みでのたうち回るぐらい目がドロドロになった事もあった。
もう少し後に綴る事になると思うが、ネットワークが広がるにつれ、粋がっては面子を保つことに必死になる自分、周りの期待に応えねばならないという強迫観念に駆られた自分とは違う、本来の自分自身が持つ心との乖離が潜在的に起こり始めた事は、この頃の自分は知る由もない。