記憶を辿る 24話
– 井の中の蛙 –
中学生になる頃には、周りも自分もドンドン生意気になっていった。
三条のカトウ理髪店で仕上げてもらっていた坊主頭は、色気づくと同時に同じ三条の美容院 San-ai ヘアーに変わった。当時は吉田栄作や加勢大周といった俳優がトレンディドラマの主役で、世の中はセンター分けが一世風靡。体育の先生から「おぉい稗、頭にお寿司のエビが乗っとるぞ」と揶揄われたものだ。
私の通っていた柳池中学校(現 御池中学校)には、木屋町にある立誠(廃校後、いまは立誠ガーデンヒューリック)、河原町丸太町の春日(現 御所東)、富小路竹屋町の富有(現 御所南)、そして私の通った生祥(廃校後、高倉に統合)の4校、1学年3クラスの構成だった。
近所には初音、竹間、城巽といった中学があったのだが、今ではこれが御所南1校に集まってくるのだからマンモス校になるのも当然である。小学校の校区もそうだ。西は堀川から、高倉通りにある小学校まで1年生も通うのである。徒歩圏とはいえ商業地域だ。何かあってからでは遅いと感じ、京都市と不動産業界の癒着を思ってしまうのは私だけだろうか。
いくら生意気になったとはいえ、所詮は街中の子たちである。
大人になるにつれ見せつけられる、悪ヒエラルキーの最底辺に位置する中学だったと思う。
ビーバップハイスクールの流れを汲んだヤンキー型の最終時代。
「特攻の拓」や「カメレオン」、「ろくでなしBlues」といった漫画を読んでは一様に皆がそれらしき風態を嗜んでいた。しかしながら隣の中学の悪たちが乗り込んできては蹴散らされ、それなりに頑張っているサッカー部の活動では一回戦敗退が通例で、生意気が通用するのは学校内だけといった競争力のなさだった。
「何たら中学の何とかは、恐ろしい奴らしい」
そんな会話でよく盛り上がったものだ。
何か揉め事があれば、誰それの弟のツレが、揉め事の原因となった相手の弟と塾が一緒で、何とかその兄貴に言ってもらって解決できるかもなどと、もはや解決の糸口などない状態を真剣に話し合ったりもしていた。全く馬鹿げているが、当時はそれが世界の中心だったのだ。
中学2年になる頃には「ストリートファイター」というゲームが流行っていて、新京極と裏寺の間にあったポルノ映画館(八千代館)裏にあった”GOLD”というゲームセンターが溜まり場。サウナ併設の美松という映画館があった辺りだ。今ではSOU・SOU足袋がある所である。
OPAが出来て以降、時の経過と共にクリーンなイメージになった裏寺だが、当時は影を感じる大人が住まう場所で、小料理屋やビリヤード、呼び込みのいる風俗店が並んでいた。Vシネマで暴力団員が管を巻きながら歩いていたら、いきなり襲われてやられちゃうようなシーンに使われる場所といえばご想像頂けるだろう。
話は逸れるが、昔は新京極のダイヤモンドビル横に吉本の劇場があって、新聞の勧誘で貰ったチケットだったのか。よく父親に連れられて行っては最前列でゲラゲラと笑い、芸人さんから「笑てばっかでうっさいねん坊主」と怒られた思い出がある。
また悪い癖が出た。
話が逸れたまま続けても良いのだが、それはそれで主旨とは違う連載に変わってしまうから難しい。コラムを始めてから物書きさんに対するリスペクト、何かの記事を読む時の見方がだいぶ変わってしまった。
悪さは日増しに加速度をつけていった。
自分自身の行動範囲の正円が広がるにつれ、同世代にいる周りも同じように広がる時期である。どこの中学生もそうだと思うが、私の場合は交わるべくして交わった弥栄中学(八坂神社石段下)の連中と仲良くなってからはブーストがかかった。