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社員旅行

山城は当時、工場内で縫製してくれる女工さんだけでも20人、内職さんや外注さん、製品を持ち回る男性従業員などを入れると1工場だけでも40〜50人はいる大所帯だった。これが2工場運営となると倍、自ずと旅行は別々だ。

クレープ肌着の生産は、次年の夏に向けて9月頃から生産が始まる。
冬場は恐ろしいほどの縫製を手掛け、ゴールデンウィークを境に受注は落ちていくというのが、一年の流れだった。年越しは安心して迎えることができ、大人も子供と同様、夏休みを謳歌できるような最高の仕組みだった。

幼年期には母に連れられ、社員旅行に同行する父、祖父母と合流した。
大きくなってくると夏休みや冬休みに時期が合えば同行させてもらった。
女工さんに可愛がられ、男性社員に懐いた。

一番記憶の中で大きいのは北海道一周旅行だ。
最初の函館から札幌まではご当地グルメを堪能できたのだが、道東、道北に行くにつれてバスに揺られる時間が超長く、幼かった私には苦痛でしかなかった。当時の絵日記を振り返れば、北海道の東北あたりが異常に大きい絵が描かれている。

各人が幾許かを積み立てし、足りない部分は会社が補填する慰安旅行だったのだが、繊維産業が本当に花形の時代があったんだと実感する。いつも化粧っ気のない女工さんも、ここぞとばかり着飾り、夜毎の食事会は笑いの絶えない昭和スタイルの慰安旅行だった。

今も昔も国東市には公共交通機関(バスとタクシーはある)がなく、自動車や原付がなければ難民になってしまう陸の孤島スタイルだが、旅行先で切符を手渡す駅ならまだしも、自動改札機などに直面したときは、大騒ぎなご一行様だったことを思い出す。

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あれから30年経った今、慰安旅行はなくなった。
クレープ肌着が下着業界を席巻した時代は過ぎ、受注減と共に女工さんが少なくなっていったこと、旅行というもの自体が団体から個人へと移行したことも大きいのだろう。

国道沿いのドライブインは朽ち果て、各温泉地で人気だった旅館やホテルは心霊スポットとなってしまった。需要と供給、時代の流れだけで済む話なのか、日本の生産性から獲得できる貨幣の大きさが変わったのか、はたまた夢や希望を持てなくなったのか。
あの時代がこの先も戻ることがないと思うと寂しい。

「初代が創業して二代目が伸ばし、三代目が潰す」

俗によく言われる言葉だ。
私の代で70年余、受け継げるものがあることに感謝している。
できれば京都流の100年を越え、老舗として後世に四代目のバトンを託したい。
良くも悪くも生まれた時から、背負うものがある身の私だが、十代の頃から俗に言われるあの言葉が気になって仕方なかった。一時代を築いた流れを垣間見ながら三代目を継承したのだが、今は不安と希望が織り混ざった躁鬱の中で日々闘っている。
そして世間で言われてきた言葉も、こう思うようなってきた。

「継続してきた商売の転換期が三代目でくる」

どうすれば企業として伸び、伸びずとも維持ができ、終わりへの抗いとはどういうことなのか。1枚一銭二銭の工賃を計算してきた祖父や父、同じ100円でも時代と共に買えるものが少なくなる中、虎視眈々と時代へとつなげるタイミングはいつなのかを探っている。

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