記憶を辿る 106話
– 上本町からの数珠繋ぎ –
初の東京催事を終え、なんとか感触を掴んだ翌年の春。
近鉄百貨店の催事を聞いた上本町店のバイヤーさんからお声がかかった。
なんでも世の中の百貨店催事の走りとなった”職人展“があり、これが上本町店の恒例となっているのだが、海千山千を超えてきた職人さんたちが集う催事だから、下手な商品を扱う業者をバイヤーが誘致しようものなら、各々の職人から雷が落とされるのだという。
(私の勝手な解釈ですw)
しかし山城さんなら大丈夫だと思うので、出展しませんか?
というお誘いだった。私が職人枠ではないのは承知だけれど、扱う商品に手描き友禅を施した商品が人気だったから枠に入ったようだ。今回も三越さん同様、二つ返事でOKし、半年後の会期に商品を間に合わせた。
古い催事だから、出展者がほぼ毎年恒例の業者が多い中、新規出店だったのは我々と”おとぎ話の小人が履くような革靴“を提案する作り手さんの2社だった。池袋店で学んだ同じ出展者への挨拶周りや、新規出店という立場をわきまえて、古株さんたちとのコミュニケーションを心がけた。
誘致してくれたバイヤーさんが可愛がってくださった事もあるが、その中で一番の重鎮だった藍染業者さんが早速商品を手に取り、持ってきた藍甕で”染めたい“と声をかけてくださった。
ありがとうございます!と1枚お渡しし、会期中に染めたところ上手く染め付いたようで、流行り絵が売りだけじゃない商品を扱っている”本物“のお墨付きをいただき、温かく迎え入れてくださった。
これだけじゃない。
この催事を取り仕切っていた”ポチ袋“の”ぴょんぴょん堂“の社長さんが、同じ京都からの出展であることも相まって、とても可愛がっていただき、新規がなかなか入れない催事に快く迎え入れていただいた。
この催事で驚いたのは、毎晩飲み会があることだ(笑)
よく考えれば、出展者は日本全国から集ってくるから会期中は全員がホテル住まい。イコール1人ご飯は必須だから、「ちょっと今晩どうよ」なんて誘いは当たり前。
それに年間300日を全国各地で行われている催事へと向けて飛び回るプロは、出展する先々で「今年も来たよ〜」なんていう”行きつけ“がゴロゴロとあり、酒も滅法強い。
私のような新人は何もわかっていないから、古参ライオンに痛ぶられる運命にあり、痛ぶる楽しさも毎度恒例のようだった。
懇親会のシャンソン披露に始まり、それぞれが別日で親睦を深める会へも有無も言わさず付いて来いから始まり終電まで。京都から上本町への通いで2時間少しかかる中、この1週間は洗礼を受けるような厳しい1週間となったのはいうまでもない。
ただこんな昭和の付き合いのある1週間は、私に成果をもたらした。
前述の”ぴょんぴょん堂“さんから「沖縄の催事に来ぉへんか?」との誘いを受けたのだ。毎夜の付き合いを欠かさなかったご褒美なのか? それとも業者としてイケていたのか? 年下だから使いやすかったのか?
どれも当てはまったのだと今は思う(笑)
こうして真夏の沖縄(リュウボウ)へ仕事で行くことになる。
このコラムで書くことを忘れていたけれど(笑) この出張で沖縄は2度目だった。
1度目は手当たり次第に営業メールを送っていた頃、プリントTシャツで一世風靡した”海人“さんからお声がかかって来沖したことがあった。採用されたら数千枚のオーダーが入る夢を見た営業だったが、沖縄の接待である”御通り“で撃沈。
儚くも夢物語で終わった過去があったのだ。
この時は出張費も出なかったため、貯めたマイルを使って挑んだ商談だったが、こんな事が山のようにあったから忘れていた(笑) 失敗談でいつか書くとしよう。
さて、”ぴょんぴょん堂“さんからのご紹介で繋がった沖縄催事のチャンスは、話はトントン拍子で進み、2ヶ月後にリュウボウで開催される”京都展”に私は参加していた。
今回の出張は旅費の半分を先方が負担し、ホテルまで手配いただいた。
今まで味わったことのないVIP待遇に心は躍る。
聞けば地方で開催される大きく売上を上げる催事(北海道展や京都展など)の出展者は、ほぼこのような待遇で出展できるようだが、日頃は各物産協会に入って年功序列のような、忖度ありきの縦社会を耐え忍んで与えられるご褒美のようにもなっていて、私が目指す催事スタイルではなかった。
私が目指すスタイルというと大きなビジョンを持っているように言ってはいるが、物産協会の重鎮に気に入られるようと、昼も夜もお付きのように動き回るスタイルが性に合わなかっただけだ。
もちろんこの生意気さが気に食わない人もいて、後に彼らが求めるように動かない私に足元を掬うような超嫌がらせも経験している。そういえば各地方にある商工会青年部のようなお付き合いも無理だった。