記憶を辿る 101話
– 東京進出 –
ある日、店もまだオープンしていない早朝、1人の来客があった。
たまたま通りかかったというその女性は、東京から来ているが、百貨店催事は興味ありますか? と投げかけられた。興味があるもないも、どうやったら出れるのだろう(95話)と模索し続け、何件か経験をしたかな? 程度の頃である。
はい! 無茶苦茶あります!!
と被せ気味に答える。
いただいた名刺には三越百貨店とあった。
私の心から”ウキウキ”という音が溢れ出しているのではないかというほどに沸き立ったったのは言うまでもない。後日、そのバイヤーから連絡が入り詳細を見る。
近日、三越各店のバイヤーが集まる展示会があるという。
この展示会で各店のバイヤーに見初められた店は、それぞれの各店催事に出店することができる仕組みだった。
バイヤーは大きな展示会に見に行かなくても商材を集められ、店舗側は初めから取引先がハッキリしているから安心という訳だ。
初めてのTさん(96話)の規模を更に大きくし、三越百貨店の各店バイヤーだけに提案するバージョンだった。
少しシード権を得たオーディションのような展示会。
出ないという選択肢があるはずもなく、二つ返事で快諾した。
今はこうした展示会はないと聞くが、声をかけてくれた女性は、別会社とはいえ各店バイヤーに顔が効く三越百貨店の古参社員だったのは明白で、後年になって彼女の名前を各バイヤーに聞けば、ご存知だったから界隈では有名な人だったのだと思う。
展示会場は人形町と明治座の間にある雑居ビル。
商品を陳列する什器の大きさや数、設営時間などの勝手が分からず、開始時間より早々に入ったことを思い出す。次々に現れる各店のバイヤーや管理職、そしてアテンドに追われる女性バイヤーなどで会場はごった返す。
確か展示会は朝の10時〜18時までの2日間だった。
展示会だからと張り切って、アイロン持参で会場の片隅で全商品をアイロンをかけたり、地理も全く分からない東銀座の宿泊先から徒歩で知らない土地を練り歩き、東京というものを知ろうとしていた記憶が蘇る。
この時の最終結果は銀座店と今は無き池袋店からのオファーだった。
まずは銀座店に出店し、1週あけて池袋店に出店するキャラバンのようなスケジューリングで、それぞれの店に行ったことも見たこともなかった京都の田舎者は、こうして花の都 大東京に初出店することになった。
銀座はご存知のように4丁目にある和光の時計台をランドマークに広がる”粋と今”が混在する街。商業地域でありながらも老舗が残す江戸情緒ある下町感もあり、区画整理された町並みも京都の碁盤の目のようにわかりやすい。
田舎者の私にとって非常に把握しやすい街だった(笑)
当時は10色展開のTシャツと、それに手書き友禅を加えた商品を並べるのみ。今では考えられないが、メンズとレディースボディを2体、平台と900mmのハンガーラックがあれば充分で、銀座店が終わる20時から設営し、20時30分には終了。
終業後は自由時間という何とも良い頃だった(笑)
設営初日から、夜は銀座散策に費やした。
新橋から日本橋、東銀座から丸の内までの京都の街並みに似た碁盤の目を縦横に歩き尽くす毎日だったと記憶している。
アメリカで訪れた様々な街をくまなく歩いたあの時のように、その街を知りたい、見たことのないものを見たいという欲に駆られ、宿に帰るのは決まって24時をまわっていた。
肝心の商売の方は一つの売場を2つの店舗で埋めるようなブース構成で、隣には静岡から来られた植木屋さん。この植木屋さんは初百貨店だったようで、同じような境遇の2店舗は、担当バイヤーからダメ出しを食いながら共に助け合った。
まぁ要はタバコと食事休憩をまわしたという話だけれど(笑)
なぜタバコ休憩が多いかというと単純明快、暇だからだ。
売りたい気持ちは山々だけれど、顧客様がおられる訳でもなく、商品を見たくなるような声掛け、欲しくなる説明、期間限定だからこそ!の立ち回りに欠けている我々は鳴かず飛ばず。
狭いブース内をウロウロ徘徊する2人組のブースだ。
売れるもんも売れるはずがない。
こうなってくると目線は他の売場に向かい出す。
丁度、我々の向かい側に秋田県から来られた”曲げわっぱ”の出店があり、ここには引っ切り無しにお客様が訪れる。弁当箱などの修理依頼から新規購入まで、様々なお客様が楽しそうに職人さんと会話をされている。
何が違うのか、どう違うのかを持て余した時間に考える。
今になって思えば、この時に人のブースを見て考えようが答えは出ないのだが、真剣に考えたりするものだから余計に顔は強張り始め、悪循環のスパイラル。
夜の徘徊まで時間はまだまだある。
なんなら1時間が3時間ほどに感じるぐらいに時の流れは遅い。
ようやく昼休憩にGOが出ると何故かホッとし、自分は何をしに東京に来ているんだという目的意識は薄れだし、逃げに入ると悪循環は益々加速。
気分を変え、下調べ済みの銀座界隈に点在するラーメン屋に行こうと1階に降りた時、本来ならば裏口から出る規則なのだが、一番トラフィックの多い正面出入り口の方を見ると何やらガヤガヤと賑やかだった。
規則を破るのが得意な私は、そのまま正面玄関へと向かう。
すると入ってすぐのブースにはカラフルでポップな地下足袋が並んでいて、外から見えるスペースを使って大規模なポップが掲げられている。銀座店挙げてのプロモーションなのだが、ブランド名の下に”KYOTO”と書かれた文字がある。
ん? 京都? なにこれ、知らんで。
なんで1階に出てんの??
同じ京都の企業としての見せ方、和物といっても友禅などとは一線を画す和テイスト、今までになかった発想など、全てが同じ京都でも全く違うブランドが銀座の一等地をロックをしているのを目の当たりにした瞬間だった。
そう、その名は”SOU・SOU”と言うブランドだった。
三代目のコラム 記憶を辿る102話に続く