記憶を辿る 13話
– 行き場のない風船とジャッキーチェン –
前回はサッカークラブの話を書いたが、今回は継続したもう一つの習い事は少林寺拳法のお話を。
絶大なスターだったジャッキーチェンに憧れ、幼稚園で入った少林寺は中学まで続けた。
日本少林寺拳法創始者である宗道臣という方の弟子が開く有名な道場。
東山二条にあるこの道場、日頃はお寺なのだが、驚くほど広い庭に大きな池があった。この池に住み着くザリガニを獲るのが楽しみで、練習前後に自作した割り箸釣具で釣りを楽しんだ。
ご存じない方に少林寺の基本を説明すると、極真空手などのように本当に拳を当てる訳でなく、一つ一つ名前のある技と型があり、その正確性やキレ、美しさを競うのが日本の少林寺だ。そしてこの道場には年に一度、大きな発表会のような大会があった。
釣りだけでなく、この型や技を覚えたりする稽古に真面目に取組む私は、大会では何度も入賞を果たした。高学年になると入賞上位だけが全国大会に出ることができ、全国大会で2位をとった事もある。
何しろ目指すはジャッキーチェンというスター。
毎年封切られる新作映画は必ず行った。当時流行り出したレンタルビデオ店で、何度も過去作を借りてはNGシーンばかりを再生。当時からリアルが好きだったのか、本編よりも大好きだった。よく1人でNGシーンの再現とばかりにジャングルジムの棒を上から下まで垂直に降りたものだ。
後にジャッキー映画のNGシーンは、NGを出したかのように撮影したものもあると知り、その体を張ったエンターテイメント性にも憧れた。
自分の目指す先がそこにあり、自分次第で上を目指すことが出来た少林寺。
サッカーのようなチームプレーではない少林寺は、私に向いていたのかもしれない。だけど全国大会で2位を取った時から、やり切ったような思いと、多感な時期に差し掛かった事もあり、情熱の灯火は急速に消えていく。
中学以降は大人の部となり通いが夜になった。
多感な時期の夜は危険だ。
最初は本屋で時間を潰す程度のズル休みが、あれよあれよという間に他校の連中と仲良くなり、全く行かなくなった。こうなると辞める事を伝えに行くのも億劫になり、1年ぐらい辞めれずにいた。
やはり全国大会の後がやめ時だったのかもしれない。
すっぱり辞めて、何か探すべきだった。
私のような凡人は、情熱の矛先がなくなると風船のようになって飛んでいき、行き場のないままプカプカと浮き続けてしまったのだ。今なら教えてやれるであろう若気、何かに打ち込むことがどこか照れ臭く、意地を張ることでバランスを保とうとする至りである。
こういう経験は誰もがあるのかもしれないが、振り幅はできるだけ小さい方が良い。戻りも早くなる。自分の子供達が同じ轍を踏まないよう、タイミングはちゃんと見てやろうと思っている。