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京都 中京区 会社 織物 老舗 山城 やましろ どうえ

布石  –

今でこそ山城の商品は、様々なカラー展開をしているが、当時の商品は白色のみ。

工場に流れている商品は、いわゆるクレープ肌着と呼ばれる昭和の下着のみで、全て”白一色”だった。各メーカー毎に少しづつ生地の風合いや仕様は違うが、素人では見分けがつかない。ゆえに工場内は、なんとなくマンネリ感がぬぐえない。

「マンネリ」という表現が正しいかどうかはわからないが、毎日毎日、同じカラーの同じような商品が工場の中にあることは、その1枚を購入されるお客様がおられると言うことを忘れがちになってしまう。

しかしこのクレープ肌着にはすごい!
と言えることが多くある。
質感や縫製という技術や機能性だけではない。

工場全体を圧巻し続けた、このマンネリ感が50年も続いたことだ。
型紙や生地はもちろん、商品パッケージでさえ変わることなく、今も継続中なのだから大した商品である。変わらない勇気、変えてはいけないド定番の持つ底力は素晴らしいものがある。

だが、しかし…
こんなにすごいクレープ肌着を、父や社内スタッフは誰1人として着ていなかった。

「なぜ着ないのか?」

と、尋ねると”…”という答えが返ってくる。
かく言う私も、小さい頃から慣れ親しんできたにも関わらず着る機会はなく、あるとき、物は試しとメーカーに納めることができない、いわゆるC品を着てみた。

なんと!驚くほどに涼しくて快適ではないか!
しかも軽くて夏の青空が広がる日には15分もあれば乾いている。
なんじゃこれは!と素直に感動した。

そして、小さな思い出が蘇る。
時は遡り、私が小学生の頃だったか。
会社前にワゴンを出してクレープ肌着セールをしていた。

生地不良などで収めることが出来なかった織元の生地を格安で引き取り、それを製品化していたのだ。無印良品さんが出てき始めた頃で、当時は無印さんの代名詞だったアズキ色を使ったオリジナルのパッケージまであった。

ボタン付の前開きシャツ、通称”面二”が300円。
第二ボタンを開けても下着が見えない襟元のU首、ランニング(タンクトップ)にロンパン(ステテコ)といった今と変わらないラインナップだけれど、上下を揃えても1,000円でお釣りがくる価格のワゴンセールだった。

余談になってしまうが…
このセール品販売はご贔屓さんも多く、永く店舗でも継続していたのだけれど、この度”doué “として再出発するにあたり、メルカリショップのみでの取り扱いに切り替えた。
お求めはそちらをご利用ください(笑)

話しは戻り、私はこのセールが、とても嫌だった。
旧店舗の壁には”クレープ肌着製造卸”とデカデカと書かれていて、先輩や後輩が自宅兼店舗前を通った時に「クレープ肌着ってなに?」「だっさ」など心無い声が聞こえたり、当時イケイケドンドンだった不動産屋の息子に、

「稗シンんトコの商売って貧乏人のする商売なんやろ?」

と言われたこともあった。
そういや、こんな会社でも株式会社なんやってのもあったな。

他にも嫌な思い出は続き、幼少期に通った少林寺拳法からの帰り道や、近くに住む先輩が来た時も、隣のマンションを「ここが家」と言ったりといった、はけぐちのない劣等感を感じてしまっていて、ワゴンセールが行われている時などは、その現実があからさまにされたようで、当時の私はたまらなく嫌だったのだ。

そんな私の気持ちなど梅雨知らずの父は、少しでも現金収入をなどと思っていたのかもしれないが。

株式会社山城 絹 シルク 下着 100 % 100 % パーセント シルクハウス

夏の京都といえば祇園祭。
鉾町の方はお囃子の練習を浴衣で行う。

格安で生地も縫製も良いクレープ肌着があるという噂はすぐに広がり、次から次へと自転車に乗って友人や後輩の分まで購入してくれるようになっていく。

そうしているうちに、鉾町の方にお声をかけていただき、フランクフルトやカキ氷の屋台に並んで、販売ができる場所をお借りできるようにもなっていった。

いつの間にか、富小路の店舗前と2店舗体制での販売が祇園祭の定番になる。
そして、休日の市役所で行われるフリーマーケットや各所で開催される青空マーケットにも出店することに繋がっていく。

こうやって富小路通でワゴン販売をしていたころ、父が上質の国産絹で女性用ショーツを開発し、”シルクハウス”というブランド名を付けて販売を始めた。

現在の山城でも女性用下着を開発し、販売をしているのだが、この出来事を思い出す度、父も同じ想いを持ってチャレンジしていたんだと感慨深くなる。

私の記憶では、”家型”のプラスチック板で作られたオリジナル什器に陳列し、南港と別府を繋ぐサンフラワーの売店でも販売していた。夏休みに入った私が大分へ遊びに行く道中、売れた分をスタッフと談笑しながら補充する父親の姿を今でもよく覚えている。

初期段階のサンプル確認で、母親がショーツをフィッティングをしていたときは、見てはいけないような世界を見てしまったような気になったことも蘇ってくる。そしてブランド名や、販売方法を考える父と母の心躍っていた”あの瞬間”を思い出す。

クレープ肌着のワゴンセールと女性用ショーツ。
全く別物ではあるが、今に繋がる布石は打たれていたのだと感じずにはいられない。

三代目のコラム 記憶を辿る83話に続く

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