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祖父との別れ

あの秘密会議から程なくして祖父が病に倒れた。
当初は大分の病院で入院し、家族が看病で行ったり来たりを繰り返していたが、より良い治療と親族の手助けも受けやすい京都の病院に移った。それ以降、建築資材の配達時や、休日を利用して見舞いに通った。

今では考えられないが、当時は病院のロビーにも堂々と喫煙所が設置され、病室に向かわずとも祖父とはそこで会えた。人を惹きつける魅力があったのだろうか、ここでも話の中心となって闘病生活を楽しんでいた。
この頃に一度、山城の事を聞いた事がある。

「 俺、山城を手伝った方がえぇんか? 」
「 それはお父さんが決めはるわ 」

と答えになっていない返答だけを残し、立ち去った。
その後ろ姿を見て、私は激しく後悔した。

この時、私に山城を手伝う気があった訳ではない。
ただ父の助けになった方が良いのかな…という単純な疑問をそのまま真っ直ぐに聞いた。

今でこそ大切な事は俯瞰して考え、それぞれの立場や人の正義を考慮した上で問いかける術を学んだが、当時はそんな術を知らなかった。

もちろん祖父が抱いた疑念は倒れた時から始まり、入院中も自分の顔色や体調で少しは気付いていたはずだが、病状を知らされない祖父は、すぐにでも退院して、第二の故郷である大分へ帰り、まだ未開拓の海外へ旅行で行けるものだと思っていた。しかしそれが難しい事を気づかせるに充分な孫の問いかけは、本当に残酷な事だったと今になって思う。

それから半年ぐらい経ったのだろうか。
もはや手の施しようがない事を祖父も悟り、大分に帰りたいと言った。

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長く住み慣れた京都の地を離れる決意をした50歳。
まさに背水の陣であり、命賭けのチャレンジだったに違いない。

ベビーブーム世代が社会の歯車として潤沢に揃い、約束された仕事と土地があったとはいえ、大いに悩んだ結果だと思う。振り回される家族を差し置いてでも実行していくその姿、その手で時代の潮流を掴んだその様は、パワフルかつバイタリティに溢れている。

しかし何事も拡げていく事は容易く、手仕舞いはその倍以上の労力がかかる。今では問うことが出来ない以上、私は祖父へ身勝手な想像力を働かせる。

成功を掴んだ祖父の野望や夢は、もしかしたら海外も見据えていたのではないか? 私が躍起になって進める海外へのチャレンジは、もはや”血”がそうさせているのではないか?
そんな風に思う事がある。
それと自戒も含め、拡げる事に注力しすぎではないのか? とも思う。

まだ1ドルが300円を超えていた時代、将来を見据え叔父さんに海外留学をさせた。仕事の第一線から離れた祖父の晩年のスケジュールは、海外旅行で埋め尽くされていた。

自身で見たその広い世界はどう映ったのだろう。
食うに困る日を過ごした事を想うと、もはや夢などなかったのかも知れないが、戦争を体験し、高度経済成長と共に生きた祖父の見た夢はなんだったんだろう。

果たして彼のように、私にチャンスが訪れたら、家族を連れて海外移住を決断できるだろうか。そう多くない祖父との触れ合いの中で受け継いだ、男としての”芯”は宿っているのだろうか。

こんな事が脳内を駆け巡ると不安や葛藤は尽きない。
しかし祖父が遺してくれたこの道は、姿形を変えて未だ継続中だ。
それは陰陽を含めるから、その日その日が必死のパッチかつ猪突猛進でしかないのだが、こうして生きている実感と夢を描ける幸せをいただけた”この道”に感謝は尽きない。

三代目のコラム 記憶を辿る50話に続く

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