記憶を辿る 43話
– いけず文化 –
初めての就職は、職安に通って選んだ会社だった。
それまでも数々のバイトは経験してきたが初めての就職。
編入高校を卒業する9月を前にして、建築資材を運搬する会社に採用いただいた。
私が18歳の時に起こった、阪神淡路大震災の復興余波で、不謹慎ながらも好景気に沸いており、即採用、即入社だった。
毎朝8時から17時、隔週で土曜日も休みな上にボーナスまであった。
要は高待遇な会社を選んだ訳だが、肉体的にはかなり重労働だったのは確かだ。
顧客様の多くは板金業と呼ばれる屋根屋さんか、設備屋さん。ほとんどが事務所か倉庫、もしくは現場に届けるのだが、会社に直接取りに来る職人も多かった。
形状や口径で細かく区切られるパイプやビス、雨樋などの部品は無数にあり、どの分野でもそうだが、部品名でなく専門用語が多用される中、直接取りに来た職人さんに「 ちゃうやんけそれ」と怒られる事もしばしば。
扱う商品を覚えるのに、結構苦労した記憶がある。
主だった配達業務で取り扱う商品は、屋根材と雨樋が多かった。
当時は施工に一定の技術が必要で、工期も長く、価格の高い屋根瓦から、簡単施工を売りにした安価なスレートに変わっていく過渡期。これらの資材と屋根に上げるための”大型の梯子”を積載した1トンか2トントラックで朝から晩まで運んだ。
ただでさえも細い道が多い京都である。
顧客様が施工している家などは京都の奥まった路地が多く、お陰様で京都の道と裏路地の知識、運転技術は相当鍛えられた。なんせこの会社が所有していた運搬車の一番大きいサイズは、バスと同等の大きさがあったから当然である。
余談だが、京都外の人と雑談をしていると、山城のある富小路通や三条通、六角通の事を「路地」と表現される方がいる。京都人からすれば一定の幅がある道として「通り」と認識しているのだが、そうではないらしい。
京都人にとっての「路地」は、ビル奥に位置した150cm幅ぐらいの道や祇園町にあるような通りから通りへ抜ける細い道を「路地」と呼んでいるわけで、こういった感覚の差も面白い。
一度、同様の方と談笑していた際、「京都の人は、結構なスピードを出して路地を走るよね」「京都は路地が多いから走りにくいよ」と言われたので、無意識に「あ〜○○県は道が広いから運転が楽ですもんね」と返し、むっとされた覚えがある。この方の自身を卑下する根性も相当だと思うが、こういう会話の返しが京都人の”いけず文化”を広め、助長してしまうのだろう。気をつけなければいけない。
そういう意味でいけば、私の”いけず”はデフォルトで備わっている。