記憶を辿る 22話
– お風呂やさん –
父親に連れられ、よく近所の銭湯に行った。
寺町六角を上がった桜湯、10話でも書いた麸屋町蛸薬師の明治湯、落語会なんかを開催して人気だった錦湯(閉店されるらしい)、御池を渡って玉の湯に初音湯。今はもうないが木屋町四条を上がった細路地にも1件あった。
友人ともよく行った。今では週3ぐらい通わないと気が済まない仕上がりになるほどに。
京都の人口に対して銭湯の数比率は全国5位。
琵琶湖ほどの地下水が京都の地中にはあるようで、多くは地下水を利用し、京都の底と呼ばれる西洞院を軸にして広がっていったのかもしれない。
よく通ったのが寺町と京極の間にあった桜湯だ。
勢い良く地下水が出てくる水風呂に浸かりすぎ、体を温めるはずが紫色の唇によくなったものだ。
また桜湯は繁華街に位置していたから、色々な人種を小さいながらに見てきた。
踊り疲れたリーゼントさんや料理屋の大将とお弟子さん、近所に数軒あった暴力団事務所の面々。
意外な人が見事なまでの彫り物をしていたり、ハートに矢が刺さったキッチュな彫り物をする老人、眉毛に頭部に下腹部まで。何でもあり。
そして男性好きの方も多く見てきた。
洗体している風だけれど鏡越しに凝視する人、腰湯で新陳代謝を促している風の人、好みの人についてまわる人など見てきた彼らには枚挙に遑ない。だからなのか、そっち系の人を嗅ぎ分ける臭覚は今でも長けている。
話がいつも逸れていく癖を何とかしたいがまた逸れた。
銭湯は社会勉強に一役買っていたと思う。
かかり湯なしで風呂に飛び込んだら怒鳴られ、走り回っては怒られ、大きな声ではしゃいだり、シャンプー泡を飛び散らせたら注意された。決まった場所を陣取る常連さんの陣地を配慮するよう動くことも学んだ。大人になって感じるが、子供は大人を本当によく見ている。
そして大人は子供を人間として同一視しがちだが、子供の世界は別物で存在していると思う。
子育ての中で、この世界をリスペクトしてあげたいのは山々なのだが、どうしてか大人の世界に合わさせようとしてしまう自分がいる。父や母も同じようだったのだろうか。
父と行く銭湯では、蜂がアイコンのロイヤルサニーという微炭酸ジュースをよく飲んだ。
ジュースを飲む日は家に直帰する日、我慢せぇとなる日は寺町六角にあった”寅さん”という小料理屋に寄って行ける日。
スペシャルな風呂上がりの日だ。
寅さんの隣には千本三条に移転された味噌ダレ餃子の”かっぱ”(現 龍園)という店、そしてパーマ屋、角にはカニ道楽が軒を連ねていた。今はセブンイレブンやアニメショップがある辺りだ。寺町六角の伊東組紐店当代とは後年知り合い、今も交流して頂いている。
基、お婆さんが1人で営んでいた寅さん。
小料理屋といえど大した料理(失礼)はなかった気がする。
ちょっとした小鉢に目玉焼きや冷奴、漬物をあてに飲むビールと日本酒がある程度。
父がビールを頼み、私はオレンジジュース。目玉焼きをチビチビ食べる父の横から屁釣る役だったのだが、子供の世界にはない別空間にドキドキした。
仕事上がりに愚痴を言うサラリーマン、ひとり酒と煙草を嗜むおっちゃんなど様々だった。店の空気感が良かったのだろう、いつも満席で入れない事も多かった。
そんな時は大ショックである。ロイヤルサニーを我慢したのだ。
仏頂面をした私を見かねた父は、扇子の山武さん横にあった牛乳屋の自動販売機で1リットル入のファンタやメローイエローなんかを買ってくれた。これを1週間ぐらいかけて飲めるのだから仏頂面もどこへやらである。
もちろん最後は炭酸など抜けているのは当たり前。
上蓋に付くアタリハズレを見て一喜一憂し、お猪口のようにチョロっとジュースを入れて飲むと、寅さんで垣間見た世界に仲間入りをしたようだった。
完飲した瓶を持っていけば、30円ぐらいで換金してくれた牛乳屋さんとのコミュニケーション、いつも仕出を自転車で持ち回っていた山岸のおっちゃんなど、色々な人からの愛や繋がりに原風景がある。今ではすっかり様変わりしてしまった近所だが、かつて私がそうだったように今でも富小路三条は、今を生きる子供にとって原体験を生んでいる場所なのだ。
銭湯の話と直接つながるような話ではないかもしれないが、私の記憶に過ぎる、あの時のあの人のような存在でいたいなと思う、お風呂屋さんの話である。