記憶を辿る 118話

– 救世主 –
和物ブームの頃、烏合無象の和ブランドがあった。
今ではその98%が無くなったのだが、その中でも全国区にその名を轟かせていた”禅 ZEN“というブランドがあった。
このブランドは日本のデニム生地ブームが始まる前に、オリジナルデニムを手がけ、デニムパンツに手描き友禅や刺繍をあしらうデザインで人気があり、雑誌にもよく出ていたので知っている人も多いかもしれない。
その代表とは、より良い友禅師を求めるうちに行き着いた先で知り合い、引き合わせてもらった。この時、付き合いが始まったわけではないが、納期遅れで窮地に陥り、神頼みのごとく助けを求めた私を救ってくれたのがこのブランドの代表だったのだ。
ちなみに多くの和ブランドが無くなった今、彼のブランドは根強いファンがいただけでなく、革物に主軸を置く事業に転換し、小さい財布の元祖を生み出し、ブームも追い風となり、楽天やアマゾンといった販路で爆売りする”COTOCUL コトカル“というブランドを手がけている。
こういった経緯もあり、相談はもちろん、商品や取り組みへの意見を求めたりと、私が最も信頼する兄貴分といった存在である。

どこか縫製できる会社をご存知ないですか?
の急な問いに戸惑いは隠せない様子だったが、「それは困ったね」と、昔お付き合いのあった縫製会社に連絡を取っていただき、紹介してくれた。
まずはサンプルを作ってもらい、確認すれど問題なし。
納期は守れなかったが、いただいた型数をなんとか納めることができた時は、どれだけ安堵したことか分からない。
ただこの前後は小心者の肝が顕著に現れてしまい、慌てふためく自分の器の小ささを突きつけられた。
このような事態に陥った責任の所在は、どう考えても生地を突き返した工場にあるのは明白だったし、当時は腑(はらわた)が煮え繰り返っても返しきれないほどに文句を垂れていた。
しかし今となって思い返せば、私にとって”大きな変革”を求められていた時期だったと思う。
当時は、自社工場で縫製できる枠でしか商品化できなかったが、
この事件以降、その枠を外れ、様々なデザインをお客様にご提案できるようになっていった。
要は成長させていただいたのだ。
本来は感謝を持つべきだ。
しかし「あの時は悪いことをした」という社長の声が糸商から漏れ伝わっても、
何を今さらと、取り憑く島も持たず、怒りを恨みに変えていた。
事態を他責にすれば楽になれるかもしれない。
しかしこれではいつまで経っても成長はない。
自分に落ち度はなかったか。
すべて完璧というのは自身の正義だけで見ていないか。
恨みを持ち続けるのは正直しんどい。
不平不満を推し並べ続けるにも限りはある。
しかし手放すにも私は悪くないという思い込みが邪魔をする。
後年、いつまで経っても消化できないこの負の感情と決別するために行動に出る。
自ら問題の工場に連絡を入れたのだ。
当時の状況を聞き、述べられた謝罪を受け入れ、
「まぁそれも仕方ないか、人間だもの」と腑に落ちさせた瞬間、
私が数年間くすぐっていたモノは全ては氷解した。
正義を振りかざしてみたが、要は謝って欲しかっただけなのかもしれない。
もしかしたら、恨みに変えていた自分自身に謝りたかったのかもしれない。
生地を送り返した社長も、バツが悪くなりすぎて「ごめん! 今から速攻でやるから! 」と言い出せなかったのかもしれない。
そして、事態を正当化するために生地を送り返したのかもしれない。
立場が違えば見え方は変わる。
こういった考え方や、俯瞰(ふかん)で見たときの互いの関係性も、この事件以降に身に付いた。できればしたくなかった経験だが、今となっては”かけがえのない経験”であることは間違いない。
人生は神様がくれた遊び場だという。
これからも大いに遊んでいきたいと思う。
三代目のコラム 記憶を辿る119話に続く