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梅田への足がかり

運良く京都の老舗に見初められ、二度目の来沖した催事は全く売れなかった(笑)
どんな催事名だったかは忘れてしまったが、打ち出し名が悪かったのか、出展業者に魅力がなかったのか分からない。ただ全ての同業者が全く売れない1週間だったことだけは確かだった。

この1週間で”沖縄で売れない理由“を毎夜繰り広げられる夜会で出会ったプロサッカー選手から学ぶことになるのだが、それは政治的要素が強いからここでは割愛する。ただこの”理由“で私は歴史を学び、今に繋がる世界の流れを知ることになっていくのだから、酔いの席であっても一つ一つが学びなんだなと痛感する。

沖縄に来ている同業者は全員がホテル泊。
日中は同じように店頭だが、とにかくお客様が来ない。
沖縄はご承知のように気温が高い日が本州よりも長い。

山城製品は絶対に売れるぞ!
と意気込んでいたのだが、同業者の中の限られた店舗が突出していたならば悔しく、売れない理由を探し改善するようにするのだけれど、日頃は集客できる同業者さんでさえ何をしても売れない。

こうなってくると全員が白旗状態である。
沖縄に来ているという少し気の抜けた高揚感も相まり、何人かのスタッフで来ていた店舗は1人が店頭に、残りは観光に繰り出す始末。そして日中の傷を舐め合うように全員で誘い合い夜の街へと繰り出すようになる。

断っておくが、日頃こんなことは皆無ということ(笑)
顔見知りで仲が良い者同士なら、再会した初日こそ飲みの場を作るかもしれないが、毎夜なんてことはない。それが全員ホテル泊という前提と、沖縄という土地がもたらす開放感、そして戦闘能力ゼロのヤケクソ感のある現実が入り、このようなことになったのだ。

毎夜毎夜、浴びるように飲む泡盛と沖縄料理。
お忍びで来ていた当時の人気スターとたまたま一緒の酒席で盛り上がったり、前述の歴史ほ学びがあったり、飲み屋にいる全員で三線で踊ったりと何とも楽しい1週間だったのは間違いなく、同業者間の交流も他で知り合う人達とはまた違った、深い交流が生まれたのだった。

会期が終わる頃には仲の良いクラスメイトのようになっていた我々は、また会いましょう!
次回楽しみにしてます!
などと心惜しく再会を誓って別れたのだが、この催事が二度と行われなかったのは言うまでもなく(笑)

当の私は初めての来沖が1泊しかない強行スケジュールだったこともあり、今回は同業者よりも1日長く宿泊し、レンタカーを借りて本島を1周するスケジュールを組んでいた。

延々と続く塀の長さに圧倒され、湿布のような味のルートビアを堪能し、毎夜の竜宮城を思い起こさせる美しい島の夕暮れを見て物思いに耽っていた時、私の目を覚ますような電話が入った。

「 うめだ阪急でませんか? 」

昨夜まで一緒に飲み明かしていた”京都シルク“の方だった。

催事業務に携わっていると自ずと知るようになり、いつか出たいと切望するようになる百貨店が伊勢丹新宿本店と梅田阪急本店だ。どちらも圧倒的な知名度と集客力で、1ヶ月数百億を売り上げるデパート界のツートップ。

梅田阪急本店は、同じ関西でもあり情報量も多く入っていた。
京都のアロハブランドさんが1日1,000万売り上げたらしい、足袋のブランドさんなんて商品が無くなるほど売れたらしいなどといった”らしい“情報が山ほどあり、”いつかは乗りたいクラウン“と同様に憧れの聖地と化していた。

当時は旧館の頃で、今のように小規模店舗が10店舗ほど入れる”スーク“といった催事スペースもなく、1階のスペースと上階の催事場のみが我々が唯一入れるスペースだった。
しかし1階は売上が取れ、阪急ブランドの価値が上がるような所にしか話は行かない。

残るは上階の催事場だが、小間割したとて人気店だから空きが出るようなことはない。出たとて”それを知る立場“にいないと情報すら入ってこないのだから、当時の我々に話が来るなんて夢のような話だったのだ。

そんな時に入った一報である。
泡盛ボケだった1週間が竜宮城だったのか、これから起こりうる出来事が竜宮城への誘いなのかが分からなくなるほど高揚したことを思い出す。

さてその竜宮城へ誘ってくれた”京都シルク“さんの面々は、既に梅田阪急さんには何度も出展されていたようだった。大阪商人らしい持ち前の明るさとバイタリティで各バイヤーとは昵懇の仲とも言えるぐらい内部と精通しておられ、一般が待てど暮らせど降りてこない”情報“を持たれていたのだ。

その後も幾度となくお世話になる方々なのだが、この一報を受けた時は”飲み明かした仲“ぐらいのもの。売れた現場を見た訳でもないが、泥酔でアホになっても粗相だけはしない京都の子という一片が、梅田阪急さんからもたらされた情報のピースに上手くハマったのだった。

確か電話を受けた1ヶ月後とかに開催予定の催事で、急すぎる話ではあったが、予期せぬチャンスに乗る以外の選択肢はないのだ。スタッフの手配から売場の確認、持ち込む商材など、今までにしたことのない経験を矢継ぎ早にこなしていく。

経験の浅さからなのだろう。
この時はこの会期が始まるまで常に緊張していた気がする。

そない大袈裟な、、と思われるかもしれないが
当時の私にとっては大きな大きな挑戦だったのだ。

三代目のコラム 記憶を辿る108話に続く

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