記憶を辿る 92話
– 帰京 –
Tシャツ発売後も大分にある工場勤務は続いていた。
しかし一つの峠を越したような感覚や次なるステップを求める欲求も出てきて、主力のクレープ肌着縫製はまだまだ父親である社長が舵取りをしていたし、私が主だって動かなくてもという思いもあり、終わりのない工場勤務に辟易しはじめていた。
今となれば、それは大きな甘えであったことは言うまでもないが、主力が回っているからこその”遊び”だったはずが、注力すべきはクレープ肌着よりもTシャツだろうという思いも日に日に強くなっていく。
そんなある日、社長である父親に問いかけた。
「 工場勤務っていつまでか決めてるん? 」
「 いつまでって終わりはないわ 」
「 終わりないって … 」
友人や知人もいない休日、社員の数倍働いても、認められないと感じる虚無感、地元に戻ると感じてしまう友人達の充実度と疎外感。そして一向に上がる気配のない給料と、俺を飛び越えるんじゃないという無言の圧力。
それまで社長である父親は、10日間を大分で過ごしていたはずが、いつの間にか5日間に変わっているのも不信感を募らせた。
年齢でいうと25,6歳だっただろうか。
今の時代だったら発信拠点なんてどこでも良いと思えるが、世間ではヤフオクがようやく人気になりはじめ、PCで自身のCDを作って楽しんだりする程度のリテラシーでメールよりも電話、FAXが重宝されていた時代だ。
国東の人には失礼かもしれないが、このまま何もないこの地で縫製工場のおっさんとして生涯を終えるんだろうか、いやいっその事それら全てを受け入れ、犬を飼おう、彼女もこっちで作って、死なば諸共の覚悟だと何度も何度も脳裏で反復した。
当時の自分が、どこまで俯瞰して考えられていたか分からない。
閉塞感に押し潰されそうになり、山城のTシャツを広げることにもっと真剣に取り組むんだと心を決めるが、どうすれば状況を打破できるのか、自分の中で自分自身に何度も問い、何度も対話した。
終わりが見えなかった。
嫌という思いを正当化するために思っていないか?
正しい事を言ってるかのように思い込ませてないか?
父親に問いかけた後の私の落胆ぶりは見るも明らかだっただろう。
こいつをもう大分工場に在籍させておくのは無理やな。と。
もしかすると父親は周囲から指摘されていたかもしれない。
人がそれぞれが持つドームの中から抜け出すのは簡単なことではない。だからこそ本を読んで見聞や知識を広げ、社会から学ぶ。下を見てもキリがなく、上を見てもキリがない。
わがままを言える環境、努力という言葉を安易に発言できるような育ちをしてきた私が発しているのは、自己中心的な甘さなのだろうか。
ときおり、私の辿った道を聞かれることがある。
このコラムのようにお伝えすると「よく住んでましたね」「スパルタですね」「耐えましたね〜」などの感想をいただく。今の自分がそう捉えているから試練だったのかもしれない(笑)
でも、鍛錬だったとも感じている。
少なくとも、この時期がなければ今の私はない。
20代でしかできなかった勢いがある。
40代に入ってから見えてきたこともある。
それは、京都にはあっても大分にないものもあり、大分にあっても京都にないものあるということ。当時は見えなかった景色が広がり、正義を変えれば、見え方が変わる事実を見つけた。
無いからこそ工夫が生まれ、あるからこそ活かすことが出来る。
この中小企業、いやいや零細企業のおっさんが、25歳の頃に京都に戻った理由。
今これを書いていてやっと気付く。
当時は上手く表現できなかった言葉が見えてきた。
そうか、京都の街中で育ち、見て、触れて感じてきたアルと、
現物として存在しはじめた山城のTシャツを掛け合わせ、
何かのアルを生み出したかったんだ。
「えらく自信があるもんだね」
どうかそう思わないでほしい。
会社の舵取り役としての重責に自信をなくしてる今、このコラムを書くことで、記憶の断片を繋ぎ合わせるている。断片が繋がると、無邪気だったあの頃の自信が蘇ってくる。
それと同時に、今だからこそ感じる反省や後悔、歩んだ道のなかで、修正していった苦しみも蘇るのだ。それでも、あの時の出来事が今に繋がっている「気付き」は喜びとなり、糧となっていることに、数十年前の自分を褒めたくもなる。
自分自身のために書き綴っているこのコラム。
お付き合いいただいている皆様にはどんな風に届いているのだろう。
そして、このコラムだが、実は書き溜めているという事実があります。
1ヶ月に3回ほどの配信だから、このままいけば皆さんにこの92話をお届けするのは24年11月頃の予定で、毎日は順調に進んでいるように見せているけれど、書いている今は、自身が抱える問題、会社の問題に耐え忍びながら七転八倒をしている最中なのです。
昭和に育ち、令和に泳ぐ社長のリハビリだと思って頂ければ幸いだ(笑)
話がすぐにそれてしまうが…
こうして何かのアルを生み出すため、新たな住処の入居日を決める。
ユニットバス1Kに荷物を運び込む引越しの日、国東のまだ北にある竹田津港から出る徳山行きのフェリーに乗りこんだ。
三代目のコラム 記憶を辿る93話に続く