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黒歴史

アメリカ話とは前後するが、私の黒歴史をもう一つ。
63話の最終でも書いたが役者のオーディションがそれだ。

昼職と夜の掛け持ちバイトをしていたリハビリ期間中、自身が考えるポジティブヒーロだった頃の思い出を、一つ一つなぞるように行動しており、それまでにはない事に挑戦し、知らない世界に飛び込むようにしていた。
運が良かったのか面接官の思い違いだったのか(笑)

既に後輩の何人かは東京のコミュニティを目掛けて上京しており、それらの家に転がり込むようにして土地勘のない私をアテンドしてもらった。渋谷に原宿、新宿といった一通りの都心を案内してもらい、当日も会場となるビル前まで送ってもらった記憶がある。

「 頑張ってください! 照れたらアカンすよ!! 」

とタレントを目指して上京した後輩に送り出され会場に入った。

64話 64話 オーディション 東京

決して大きな会場ではなく、事務所に併設された応接間を利用した会場では、既に何人かの男女が長テーブルに腰かけ、緊張した面持ちで始まりを待っていた。

重役から今日の趣旨と、合格した場合に出演する映画の内容、撮影日などの説明をされた。続いてアシスタントが参加者20人ほどに台本を配り、今から行うオーディション内容を説明した。

参加者でペアになり、芝居をしてくださいという話だった。
初めての経験に面喰らうしかなかったのはいうまでもない(笑)

ペアが組まれた時、相手の女性が京都人だという事が判明した。
こんな縁もあるんだと思い、標準語など話せそうもない私は、

「これ関西弁でやっても良いっすか? 」

と聞いた。
すると彼女は「 良いですよ 」と快諾してくれたので一安心。
標準語で書かれたセリフを関西弁に直して練習し始めた。

小一時間ぐらいだったのだろうか。
本番ですので2組づつ別室に来てくださいと案内される。

いよいよ本番かとペアになった方と意気揚々と「緊張してきたなぁ 」「 ほんまやねぇ 」などと言い合っていたのだが、この後に訪れる”心持ちの違い”に不合格は確実となり、項垂れて後輩の前に現れることになるのであった。

役者 俳優 上京 映画 出演

別室に通され履歴書を重役に渡すのだが、ペアとなった女性の方をはじめ全員がブロマイド持参で挑んでいたのである。プロに撮影してもらった満面の笑みでアピールされた自身のポートレートと履歴書? 経歴書? を出すのを見て愕然とした。

女性ならまだしも、もう1組の男性も同じようなポートレートを持参しており、”男やのに何でそんなん持ってんねん”と心で呟いた。

そして自分が用意していた履歴書を思うだけで赤面した。
なんせ私が用意した履歴書は、バイトの面接でも受けるかのような履歴書だったから。

それぞれに問いかける重役へのアピールも、”役者になりたいです!” という人達ではなく、”私はこういう作品に出演してました!””今回の作品では、私はこう演じたいです!”など言っている。

最高に帰りたい気分だった。
あの時、面接側から映した画像があるなら見てみたい。
呆気に取られたリアルな顔とはこういうものだと勉強になるはずだ(笑)

そして前組の演技が始まった。
2人は標準語で難なくこなし、その役に成り切っていた。
学芸会とは訳が違い、隙さえあれば逃げ出せたはずだが、呆気にしか取られていない私の腰は動かず、とうとう私達ペアの番になった。

あなたは何故この映画に出たいと思ったのですか?
馬鹿にされた周りの人間を見返したくて。
馬鹿にされたとはどういう過去がありましたか?
ゴニョゴニョwpf)139|#$%a65

そらそうである。
馬鹿にされた過去などないのだから(笑)

それらしく見返したい過去があるように言ったものの、役者を目指しているいないで茶化された程度だった話に重みなど生まれようもない。
メッキはすぐに捲られた。
そして遂に台本読みが始まる。

確か始まりは女性からの「良い天気ね」
だったような気がするが、予定調和だった関西弁の「良い天気やね〜」ではなく、標準語の「良い天気ね」で同郷の女性は発し始め、思惑が瓦解する。梯子を外された訳だが、そんな事は気にせず関西弁でやり続けたら良かったものの、当時そんな太い神経を持っている訳もなかった私は、「そ、そ、そうだね、、」

こうして短い夏の挑戦は終わりを告げた。

控室で仲良くなっただけの同郷の女性だとはいえ、私との約束を反故にしてまで自身をアピールしてていく前のめり感、それぞれがこれでもかとアピールするブロマイドと無駄のない返答、TVや映画は勿論、どこかのチラシでさえも載っていないような、モデルや役者の下っ端の下っ端でもこうなのか、、、
芸能という世界を垣間見た。

今ではこう思う、あんなんもん恥ずかしい〜てやれるかい。

そして竹中直人さんのような個性派俳優を目指したいなんて、口が裂けても言うもんではないと思っている。これら一連の弱肉強食に勝った上に成り立たせたキャラを持つ、一線の俳優陣や芸能人は並ではない。

行き場のない感情と挫折感、ビル前で結果を楽しみにしていてくれた後輩が

「どうでした?  」

と笑顔で駆け寄る姿を見た時、始まりに「照れたらダメっすよ!」という忠告をくれた事を思い出し、「飯でも食いに行こか」というセリフが、その時に発しえた精一杯の言葉だった。

三代目のコラム 記憶を辿る65話に続く

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