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祖父との秘密会議

祖母の葬儀は大分と京都で営まれた。
工場からも何名か入洛し、2軒隣の錦水館に宿泊してもらって葬儀を手伝って頂いた。

久しぶりに祖父も帰京し、居間で団欒していた時のことだ。
私が少し遅めに昨夜の”すき焼き”を食べていると、「真平、お前なんで”すき焼き”が豚やねん、えぇ飯食べてへんなぁ。わしが今からえぇトコ連れてったるわ」と言い出した。

当時は蛸薬師と裏寺の南西角、今は靴屋になった場所にすき焼き屋があった。
その隣に”すし松”という寿司屋があって、帰京した祖父は何かとココへ通っていた。
彼にとって”すし松”は、時代を傍受できた暁に来れた場所であり、持っていた劣等感を払える場所だったのかもしれない。もしたただ単に行く出汁として私を使った感も否めないが。

ちなみにその隣にはアイスクリームの”サーティワン”があって、フランチャイズ経営をされていたのか、”すし松”とは裏で繋がっており”サーティワン”を全種食べることができた(笑)

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銘木の香り漂う1枚板のカウンターに座った祖父は「こいつにえぇもん食べさせたってくれ」と大将に言い放ち、大トロや雲丹、松茸などの高級食材が使われた寿司や料理を有無も言わさず食べさせた。

「何が美味かった?」「大トロかな」
「ほな大将、大トロ全部」

こんな感じで次々と腹がはち切れるぐらいに食べさせる。
“すき焼き”が牛肉ではなくて豚だった事が不憫だったのだろうか。

祖父にあの世で怒られるのも嫌だから白状しておくと、すき焼きが豚だったのは偶然だ。稗家の”すき焼き”は、コマ切れ肉だが寺町三条にある三嶋亭のお肉を使うから、祖父が受け取ったニュアンスとは少し異なっている。

これは今も変わらず、大盤でサシの入った牛肉で食べる”すき焼き”はお腹を壊し、コマ切れ肉を使った”すき焼き”の方が味が沁み、卵ともよく絡んで美味しく感じるのだから、「食育」って本当に大切な事だと思う。
それがまた家庭によって違い、それぞれに受け継がれていくからと面白い。更に今では鶏肉の”すき焼き”の方が理に適っていて美味しいと思っている。

このコラムではまだ先の話になるが、私が大分に移住していた際、祖父母の友人宅に晩御飯のお呼ばれをいただいたことあった。そこで”すき焼き”をいただいたのだが、具材が白菜で驚いた(笑)

稗家の”すき焼き”は冬が多く、いただき物の”葱”を食べる事がメインで”すき焼き”なのか、肉を食べたいから”すき焼き”なのかも分からないぐらい葱しか入っていない”すき焼き”だったから。
ちなみに蜜たっぷりの九条葱と、三嶋亭のコマ切れの愛称は抜群だ(笑)

一言二言、三言と話す程度で淡々と高級食材を食べる若者と年寄り。シュールな構図だったとは思うが、そこに何かがあるのは女中さんは察知していたはずだ。

後にも先にもこの1回のみ執り行われた秘密会議、会話は手に取るように覚えている。野球中継を見続ける祖父が、寝てと思ってチャンネルを変えると「変えんな」とぶっきらぼうに言い放ち、イクメンパパのようにヨシヨシする訳でもない祖父との触れ合いは無かったからこそ、その一つ一つを心に刻めているのかもしれない。

この”すし松”の帰り道、京極蛸薬師のオリンピアで”プリクラ”を祖父と撮った。
普段は寡黙で仏頂面の祖父が、流行り物に精一杯の笑顔で対応する姿は、彼の持っていた違う側面を残した。私が女の子だったら、また違ったかもしれないが、愛情表現は語らずともがな、心に秘める昭和の男との思い出だ。

三代目のコラム 記憶を辿る49話に続く

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