記憶を辿る 42話
– 軌道修正 –
自身の行動や言動に日々苛まれる生活が続いていたある夜。
急に意識が朦朧とし出し、何とも終わりの悪い1日だと感じた私は、眠りにつこうとベッドに入ったまでは記憶がある。
人は自分に都合の良いように記憶を捻じ曲げ改竄することで保身を図る事は多々あること。私の脳内でもそれは起こり、記憶を抹消するということで臭い物に蓋をしているのかもしれないが、朦朧としながらも時計を見て、惨状を確認した時間から逆算するとおよそ15分ほどだったが、未だこの時の記憶だけは戻ってこない。
当時飼っていたペットが部屋の外で吠えているのが微かに聞こえ、意識が覚醒し、起きた惨状に目を疑う。
自身で自分の首を締めていたのである。
タオルを首に当てがい、部屋はグチャグチャになっていた。
何が起こった?
どうなっている?
秒速で脳内が現状を理解することに努めるが把握できない。
目の前にあったペットボトルの水を一気に飲み干し、タオルを放り投げる。
当時をいま思い返すと、相当病んでいたのだ。
周りが自分自身の道を進んでいく中、何も作り出してこなかった現実に狼狽え、行き場のない憤りや出口のない未来への不安に焦っていた。どう考えていたのかは分からないが、両親が考える息子像や期待に応える事の出来ない現実、無言の期待と圧力が重くのしかかっていた。
この時、私は本気だったかは分からないが、未だに酔ったり血行が良くなると、僅かにアザのように浮き上がる。それなりな力であったはずだ。後に私は癇癪持ちだったか? と母に聞いたことがある。
「う〜ん…そんな事はあらはらへんかったゑ」
と証言されたから、やはり精神に異常をきたしていたのだ。
自己嫌悪がもたらす最悪の結果だった。
一旦リセットしたかったというのが本音だろう。
核の部分は”町の目立ちたがり屋”程度の弱虫だったのである。
事の本質から逃げても問題はブーメランのように舞い戻り、戻った時の事の本質は当初よりも更に大きく、加速度をつけ降りかかってくる。初動で対応していれば軽傷だったものが、2度目には致命傷になるほどの問題になるということを学んだのかもしれない。
それからというもの、粋がることが更に怖くなっていき、幼少の頃に皆から愛されていた自分、輝いていたと感じた少年期の自分を思い出しながら、本当の自分はどうしたいのかを常に考え、当時の思い出とリンクさせるように軌道修正をしていくように癖づけようとした。
豆タンクだった頃の自分ならどう思うのか?
赤白対抗の最終アンカーを任された時の自分ならどう考えるのか?
幸いにも私には、戻っていける思い出の場所を両親が作ってくれていた。またどんな事や時があろうとも、地元や周りの仲間達は変わらずに”そこ”に居続け、温かく迎え入れてくれていた。
勝手極まりない私だが、心から感謝している。
こじつけかもしれないが、粋がった自分との乖離を埋め、軌道修正するにはこうするしかなく、全力でその時に纏っていたであろう気配を取り消しに掛かった。考える思考回路や行動パターン、言動など全てを見直し精神科にも通った。
当時の事を友人に聞くと”変わりすぎて気持ち悪かった”と言われる。
他の仲間達も180度どころではない方向転換をした私に、戸惑いと苛立ちを隠さなかった。
「変わりすぎ」「きもい」「あいつ終わった」
などといった言葉が方々から人を介して聞こえてきた。
しかしそれら一切を無視し、我が道を行く状態を貫くように心がけたとはいえ、そう簡単に人は変われるものではない。月単位ではなく年単位、良くなりそうでまた戻るを繰り返しながら、拾ってもらったある会社での出来事で最終形を迎えることになる。