記憶を辿る 19話
– 神様と私 – 番外編
約3年ぶりとなった今年の神輿渡行。
輿丁(よちょう)の全てが心から喜び、楽しんだ渡行だったと思う。知らない者同士でも「 祇園さんなかったさかい腑抜け状態でしたわ 」「 気持ちの折り合いつけんのん難しかったわ 」などの会話が交わされていた。
しかし体なのか気合いなのか、毒気が落ちてしまったのか(笑)
私にしか分からない節目を感じた渡行だった。
私自身も皆から痩せただの小さなっただのと言われたのだが、18歳の頃から見てきた跳ね回る常連組は白髪者が増え、纏っていたオーラが小さくなったように感じる人も少なくなかった。浦島太郎感があったのは否めない。
私自身、これが30代で起こったブランクだったら問題なかったはずだと思いたい。生業に邁進しているという言い訳が過ぎる余り、自分への鍛錬を怠った結果だったように思う。
灯籠持ちから26年。
共にエスケープした魚屋のボンは、
西御座 錦神輿 青年部会長にまで昇った。
年齢と経験、人脈、全てが押し上げた結果だ。
これを境に彼は死ぬまで奉仕するだろう。
親ガチャで選んだ、彼の持つ使命の一つを受け入れた年だった。
彼は当然トップになるだろうが、それは輿丁としてのトップではなく、輿丁をトップとして支え、奉仕する”次の26年”に入ったのだと思う。力技や勢いだけが前に出ている者にはない、包み込む何かを持つ彼は、皆に愛される長になってくれると思う。
伝統を受け継ぐことは簡単ではない。
私自身、後26年同じことは出来ない。
彼は彼なりにトップになる鍛錬を怠らないだろう。
輿丁としての私も、26年後は渡行について歩くのがやっとのことになるはずだ。あのお爺ちゃん邪魔やんなぁと揶揄されながらも、次世代に渡していくための行いと鍛錬を誓いながら、
私の渡行はこれからも続いていく。