記憶を辿る 18話
– 神様と私 その五 –
その頃から慣れていない人間には、後ろから「次はこうやって変わるんやで」「この時は俺が入るから次の番はサポートしてや」とアドバイスし、それを聞いた新人は必死に実践、トライ&エラーを繰り返し覚えていった。
私が担いでいる場所は”台場”と呼ばれる神輿の中央だ。
振り子の原理で動く神輿は、台場がしっかりすることで前後の”鳴鐶(なりかん)”と呼ばれる金具が鳴り響く。威勢の良い神輿渡行になるか否かを担う、地味で華はないが重要なパートである。
私がこの場所を担ぐようになったのは神輿初参加の時からで、理由は一つ。
人が少なかったからだ。
初参加の時、いつ役員から「灯籠持ちやろ! 戻れ!」と言われるやもしれない中で担いでいたから、担ぎ手が嫌がる台場ばかり入っていたのだった。神輿では人のことを”輿丁(よちょう)”、数を”枚”と呼ぶのだが、花形の鳴鐶を踊らす前3枚は、ある程度の技術が必要だ。当時は足運びを教えてくれる人もいなかったから、不慣れで鳴鐶が上手く鳴らなかったら、神輿から放り出されるのではと怖かったのだ。
そんな流れがあり、今の位置「台場」が自分の居場所となった。
体の中で”腰”にあたる台場が、しっかりと神輿を支えることで鳴鐶が上手く鳴っているか否かも台場を好む理由になっていたのかもしれない。
体力尽きようかと頭によぎっても、微かに耳に入る鳴鐶の音がまた魂を奮い立たせる。
頭にも心にも何もない、瞑想とはまた違う真逆の”無”の状態がそこにある。
輿丁は黒子だ。
後世に伝えるための努力と鍛錬を怠たらず、我々が支え、担ぐのは錦神輿愛好会の役員連中である。役員となっている彼らもまた、生業では座頭であるが、西御座、祇園祭、京都の前では黒子なのである。1,200年続く祭り、祇園祭というものに対して一役を担っているという一枚のプライドが我々輿丁の誇りなのだ。
話をシリーズ化してしまった大元に戻そう。
自身の心が神と繋がるだの、ズルは己の心が知っているから出来ないだの、黒子に徹する思いで神輿を担いでいるのだと高尚な風に書き記してしまった。
しかし恥ずかしい話、こうして無心で魂から発するエナジーを捧げているのだから、ちょっとぐらいご利益ないかなぁなんて、甘い考えがよぎる。宝クジぐらいは当ててくれても良いんじゃないか、思ってもみなかったメーカーから話が来たりしないだろうか、なんてことを考えているズルい自分も居るのである。
どこまでいっても何をするにしても見返りを求めてしまっている。
あぁ〜なんたる愚かさであろう。
自分だけは特別なんだと声高らかにしても実はこうである。
確かに無心で神輿は担ぎ、地球に、日本に、京都に住まう町衆が幸せな毎日を送れるようにと手を合わせていても、どこまでいっても潜在意識では見返りを求め、欲にまみれている自分が存在し続けている。
自分が好きで担いでいるだけなのにだ。
ランボルギーニやフランクミュラーは我慢するから! お願い!!
こういう自分が許せない、とはいえ自分は可愛い。
勝手極まりの無い小さい子達と変わらない。
情けない限りだ。
そんな私にとっての神輿とは、日頃の赦しを乞いたい身勝手なオモイやコトを伝え反省する依代であり、煩悩まみれの私にとっての神とは、やはり自分自身との対話で生まれる私の中だけの私なのかもしれない。
今後、これらが昇華される日が来るのだろうか。
ただこのシリーズで一つ分かったことがある。
それは、まだまだ神なんぞ語ってはいけない自分がここに居た。ただそれだけだ。お付き合い頂いた方に申し訳ない気持ちでいっぱいである。
神様、皆様、どうか許しておくれやす。
歳をとったから話が長くなった。
何はともあれ、3年ぶりの17日の渡行は八坂さんから御旅(四条寺町)まで、24日は御旅から八坂さんまでの短い距離だが、久しぶりに楽しみたいと思っている。どうか時間があれば観覧頂きたい。
そんな訳で神様話”神様と私“は終了です。
五話までご拝読頂き、ありがとうございました。