記憶を辿る 17話
– 神様と私 その四 –
体に寄り添ってなどくれない太くて硬い角棒から伝わる躍動感、自分自身の力や声といったものが周りの喧騒や迫力に掻き消され、一瞬でも気を抜いたら命をも落としかねない中の興奮と狂気、今を生きるということを力強く感じる勇壮な臨場感、一つのモノに向かうエネルギーが合わさる連帯感や達成感が渦巻いた空間 … えも言われぬ体験をしてしまった瞬間だった。
誤解を恐れないで言うなら、男であることを思い出したのだ。
初めての神輿はどこの場所をどのように担いだのかも思い出せない。
当時は今のように同じ場所の輿丁(よちょう)が一斉に変わるという統制されたスタイルではなく、担ぎたい人間が担ぎたい時に担いでいくスタイルだった。人数も今のような大所帯で交代要因が多くいるのではなく、変わって欲しいのに変わる要員が居ず、泣きそうになっていたぐらい人数も少なかった。
渡行には神輿を高く上げて魅せる”差し上げ”という場面があるのだが、当時は1回の交代もなく最後まで差し上げたものだ。早く終われ、終わってくれと意識が遠くなる中、魂が借りた体は悲鳴を上げていた。それでも何度も何度も一心不乱に神輿を担いだ。
男であり、男でいるという喜びを確認したかったのかもしれない。
あれから約26年、私の生活は元旦に始まり7月の途中報告、1年の折り返しの節目として祇園祭の西御座は鎮座している。
このように書くと、真摯的に神輿と接してきたかのように思われるかもしれないが決してそんなことはない。若かりし頃、当時付き合っていた彼女を渡行中に連れまわし、役員がこのような人物には注意するようにと配布したビデオに、悪い例として写っていたこともある。交代要因が本当は欲しかったはずなのに、粋がり、日々の鬱憤を晴らすかのように暴力的に、担ぎ手を蹴飛ばし詰ったこともある。悪い例としての事の方が多い。
ただ20代後半ぐらいから徐々に神輿との向き合い方が変わっていった。
どこの神輿もそうだと思うが、基本的にはその土地の人間、もしくは何かしらで関わる人が輿丁となってくるから、年に一度しか会わないなりに顔馴染みになっていく。
仲良くなるというイメージではなく、同じ場所を担ぐ者としての同志感が生まれ、統率もなく、バラバラに担ぎたい時に担いでいた人間達が、それぞれに声を掛け合い、同時に入れ替わった方が良いんじゃないか? こうしたら腰が曲がっていくことが防げるぞなど動き始めた。
それを見た役員が時を得たとばかりに「 次から4人同時に代わろか! 」と先導を取った。
するとどうだ、今まで1人の力では1mmたりとも上がらず、どんどんと重みと焦りで腰が折れていった神輿が「ふわっと」上がり、背筋を伸ばした状態で踏ん張れるようになったのだ。
1回で上手く上がった訳ではなかったかもしれない。
顔馴染みが増えても、担ぎ経験が少ない人や初参加組などもいるから、上手く立ち回ることができるようになったのは、やはり影で支えてくれた役員達の力が大きかった。
影、日向に活きるである。