記憶を辿る 11話
– 老舗の商売人 –
小学校を卒業するまで、色々な習い事に通ったきた。
エレクトーン教室にソロバンやサッカー、公文式に水泳に少林寺拳法 etc。子供達の未来の選択肢を一つでも増やしてあげることが、親の役目の一つである。だが、掛け持ちさせていることがステータスのような、「あの子がやっているからウチも」といった張り合うような風潮は実につまらない。あくまでも主役は子供であり、親は彼らの伴走者なのだから。
さてうちはというと、ステータス派閥に属するような親ではなかったが、私が興味を示すものは全て叶えてくれた。
幼い頃の動機なんて他愛もないきっかけ。
友達が通っているとか、カバンがカッコイイとか映画で見たとか。そんなもんだ。中でも公文式なんて最たるものだった。
今はデザイナーズマンションになって跡形もないが、蛸薬師御幸町を下がったところに魚屋専用のような駐車場があった。
車を洗った後なのか、常に地面は水浸しの駐車場の上に立つ古びた建物の2階に公文式があった。
老朽化も激しく、錆びついた鉄の階段を昇った先にある教室。
いつも魚臭い独特な空間。石炭工が雑魚寝する大部屋のような場所。別の学区からも来ていたはずだが、全校生徒合わせても180人しかいない校区にある公文式には、先輩後輩が入り乱れて集う、もう一つの学校のようでとても楽しかった。
ここに眼鏡をかけた女講師がいたのだが、なんとも独特の癖があり、幼さの残る私の目が釘付けになることを毎度してくる。ここで書くようなことではないから割愛するが、なかなか破廉恥な先生だったということだけ記しておこう。
帰り道には、御幸町蛸薬師角の今も変わらないタバコ屋さん「クスノキ」があった。タバコと日用品を扱うラインナップ。
当時は、ビックリマンチョコが全国的に流行っていた。
1袋30円だったと記憶しているが、「今日はヘッドが出た」だの「俺はスーパーゼウスを持っている」だのと年齢なんて関係なく子供たちの会話が弾む。
中には猛者もいて、先に箱買いをしてシールだけ抜き取り、お菓子を10円で売ったりする。お菓子好きには30円で3個食べれることからスグに売り切れる。
いま、思い返して感じるのは、次の一手を意識して行動している親を子供たちは常に見ているということ。目に見えぬ教えを彼なりに体現していたのかもしれない。錦を主軸とした商売人、老舗が多くある地域ならではの逸話である。
そんな調子で通った公文式だったから、中学受験を迎える頃になると、年上や仲間が辞めていく。すると一気に瓦解し、今度はカバンの格好良い塾に入りたいと希望したが、私に格好良いカバンを持つ希望は叶わなかった。
そもそもの入塾テストに悉く落ちるのだ。
こうなってくると既に学力で勝負するようなことは出来ないと悟ってしまい、同じ悟りをひらいた者達が徒党を組む。
悪ガキ集団の一丁上がりという訳なのだが、自分自身の内なるものからやりたいと思ったものは長く続いた。
次回12話は継続できた習い事の話をしようと思う。