記憶を辿る 74話 2024/04/10(水) 三代目のコラム – アレルギー– 小さい頃から私はアレルギー体質だった。 アレルギーという言葉や、喘息持ちという言葉が出始める時代背景の申し子だ。当時、花粉症という言葉があったかは記憶にないが、春になれば鼻が詰ま […] 続きを読む
記憶を辿る 73話 2024/03/20(水) 三代目のコラム – 大分生活 – フェリーの朝は早く、朝日が昇る時間には下船を迎える。 重油と潮騒の匂いが名残惜しくもあり、これから迎える新生活に心が躍る。 山並みには湯煙が立ち昇り、別府湾についたサンフラワーを […] 続きを読む
記憶を辿る 72話 2024/03/09(土) 三代目のコラム – サンフラワー – 山城のトラックを父親が運転して出発した小さい頃と違い、今回は単独で大分工場までの旅となるのだが、行き慣れた土地だったからだろう。なんの不安も感じることなく関西汽船が運行するサ […] 続きを読む
記憶を辿る 71話 2024/02/28(水) 三代目のコラム – 最後の夏 – 退職してからだったか、退職前だったか覚えていない。 父親に家業を手伝いたいという話を初夏の事務所で伝えた。 「ほな、大分の工場からやな」 「へっ?!」 小さい頃から大分の工場に行 […] 続きを読む
記憶を辿る 70話 2024/02/17(土) 三代目のコラム – 貧乏人 – スノーボードに明け暮れる日々を続けていた頃。 ある日、会社が使っていた配達用のバンを借りたことがあった。 社長が「毎週スノボーに行ってんにゃったら乗って行ったら?」 という好意的な […] 続きを読む
記憶を辿る 69話 2024/02/07(水) 三代目のコラム – スノーボード – この頃、私はスノーボードにハマっていて、毎週末どこかのゲレンデに行っては車中泊をし、朝から夕方まで滑り倒していた。最後のお楽しみパターンは、京都に帰ってラーメン屋さんや焼肉屋 […] 続きを読む
記憶を辿る 68話 2024/01/27(土) 三代目のコラム – 残業 – 社長を筆頭に、私と事務員2人の少数精鋭部隊で回っていたこの会社、1人の事務員さんは膨大な量の経理担当、1人はその日の出荷予定の仕分けからラベル貼り、電話番に出荷伝票の発行から備品の買 […] 続きを読む
記憶を辿る 67話 2024/01/17(水) 三代目のコラム – ギャルブームでギラギラ – この頃は浜崎あゆみ、モーニング娘。といった面々がTVを総なめしており、我々の頃はFineという雑誌から派生したサーファー系のギャルが主流だったのが、egg.というギ […] 続きを読む
記憶を辿る 66話 2023/12/20(水) 三代目のコラム – 丁稚奉公 – 父は山城を手伝う前、大阪の繊維問屋で丁稚奉公をしていたそうだ。 小さい頃から、ことあるごとに話を聞いていた私は、何をするにも修行は必要だと考える癖がついてしまっており、ラーメン屋 […] 続きを読む
記憶を辿る 65話 2023/12/09(土) 三代目のコラム – 故郷への興味 – 長かったアメリカ生活に終止符を打ち、京都に戻ってからもまだ悶々とした生活を送っていたが、アメリカ各地で得た”京都”という都市のネームバリューは本物なの […] 続きを読む